カテゴリー「コラム・書評」の121件の記事

2012.02.06

カントリー牧場廃業へ ウオッカなる物語を生んだ奇跡

ウオッカやタニノギムレットなど4頭の日本ダービー馬を生産したカントリー牧場が廃業、およそ半世紀の歴史に幕を閉じる。牧場の谷水雄三オーナーが健康を害し、経営を断念することになったと伝えられている。社台グループの寡占化で競馬界に多様性が失われているとの懸念が相次ぐなかで、メジロ牧場に続いて名門オーナーブリーダーが姿を消すことはあまりに惜しい。カントリー牧場は1963年、ゴルフ場を営んでいた先代の谷水信夫が創業し、1968年には生産馬マーチスが皐月賞、タニノハローモアがダービーを制覇。1970年にはタニノムーティエが皐月賞、ダービーのクラシック二冠を達成した。そして1973年、天皇賞秋、有馬記念をタニノチカラが勝ち、日高を代表する生産者としての地位を不動のものにしたのだった。

なぜ創業からわずかな期間で八大競走を勝てる馬を何頭も送り出せたのか。その秘訣は「谷水式ハードトレーニング」と呼ばれる厳しい調教にあった。「馬は鍛えてこそ強くなる」、ひとりの馬主に過ぎなかった谷水信夫は自らの信念を実践するため、牧場を開いて鍛錬に耐える馬をつくろうと考えた。きつい負荷のためデビュー前に故障しても、決して手を緩めることはしなかった。その信念の塊のような生産馬を託されたのが、開業まもない戸山為夫調教師だった。戸山は育成方針を巡って何度もオーナーと衝突しながらも、「人と同じことをやっていたら、人並みだ。いつまでたっても抜け出ることはできない」という人生観に共鳴していた。

「アベベのような天才はザラにはいない。そのアベベにしても故国では走りに走ってあそこまでなった。円谷は練習に練習を重ねて、銅メダルを獲得した。 ここにいる馬は、アベベではないかもしれないが、円谷ぐらいの才能はもっている。 鍛えれば必ず勝てる」/谷水さんは馬のことはそれほど知らない。しかし、ゴルフもやるし陸上競技もやっていたから、自身のスポーツ体験を競馬に敷衍して言うのが常であった。その考えは私も同じであった。 (戸山為夫 『鍛えて最強馬をつくる』 より)

当時、調教は15分や20分で切り上げるのが常識だったが、戸山が「せめて一時間は練習する」と告げると、谷水は他の厩舎にいた馬を新人トレーナーに預けたという。牧場の一期生の中にはタニノハローモアがいた。怪物タケシバオーらを尻目にタニノハローモアは堂々とダービーを逃げきり、厩舎を開設して4年目の戸山に最高の栄誉を贈った。「谷水式」の成功は戸山の原体験となり、 後にインターバルトレーニングと坂路を用いる「戸山式」を生み出し、その思想は今に受け継がれている。カントリー牧場がなければ、日本競馬のレベルアップは大きく遅れていたかもしれない。もちろん、坂路の申し子の異名を取るミホノブルボンもいなかったはずだ。

馬のプロフェッショナルでなかった谷水信夫だからこそ成し得た破天荒な挑戦。しかし、その情熱の人は絶頂期の最中にあった1971年、交通事故で命を落とす。牧場経営は息子の谷水雄三に委ねられた。二代目は父親と違って経済性を重視するビジネスマンだった。効率的に利益をあげようと拡張路線に走り、生産馬の数を増やした。ところが、成績は急下降していく。頭数を増やしたことで地力が衰え、トレーニングに耐えられない弱い馬ばかり生まれたからだった。戸山はカントリー牧場と手を切ることも考えたが、先代への恩義から「馬の数を増やしては駄目だ」と粘り強く説得を続けた。

雄三さんは間もなく気がついた。そして徐々に馬を減らした結果、牧場の地力も馬の成績も回復していった。/ 日の出の勢いのタニノハローモア、マーチスから、落日のタニノチカラまで四年である。牧場が衰え、馬がへたばるのに四年かかったとすれば、回復するにも最低それくらいはかかる。/いったん衰えたら、長い低迷期を覚悟しなければならない。カントリー牧場は最近やっと持ち直してきたが、土というのは最新の注意が必要である。 (「鍛えて最強馬をつくる」より)

少数精鋭主義への転換。谷水雄三は40頭以上いた繁殖を15頭まで減らし、牧草地の土壌改良を行うことにした。また、頭数が減って種付け料の単価をあげられたことで、質の高い配合相手を選ぶことができた。それでも一度、狂った歯車を戻すのは容易ではない。1992年に小島貞博で新潟記念を勝ったタニノボレロなど、重賞には手が届いてもGⅠを勝てるような馬を生産することは叶わなかった。

低迷の原因となった拡張路線だが、復活の礎材とも言うべき 至宝をもたらしもした。アメリカから輸入したシーバード産駒の牝馬、タニノシーバーである。父シーバードは英ダービーや凱旋門賞を制した歴史的名馬であり、種牡馬としてもアレフランス(仏三冠)、リトルカレント(米二冠)などを輩出している。仔出しの良かったタニノシーバードは1977年から1995年までに13頭を生んだ。重賞2勝のタニノスイセイをはじめ、どれも産駒は走って牧場経営を支えた。それらの1頭が準オープンまで出世した牝馬、タニノクリスタルだ。谷水は牧場に帰ってきた同馬に期待のブライアンズタイムを種付けする。 そして、タニノギムレットが生まれた。タニノムーティエ以来、32年の雌伏を経てダービーの栄光をつかんだのだった。

物語はそこで終わらない。戸山の弟子である森秀行が厩舎を開いた際、抽選馬用の馬房を割り当てられたため、谷水は開業祝いにとJRAから抽選馬を購入することにした。森は余っていた牝馬からシラオキに遡るルションの仔をチョイスした。タニノシスターと名付けられ桜花賞に出走。谷水は繁殖にあげ、種牡馬となったタニノギムレットと交配した。ウオッカ誕生である。陣営は桜花賞を勝てばダービーに行くと明言していたが、ダイワスカーレットに惜敗。谷水は逡巡したものの、最終的に初志貫徹してダービーに向かうことにする。オークスへの登録はせず、ウオッカは64年ぶりに牝馬としてダービー馬となる偉業を果たした。こうした決断はカントリー牧場のDNAと言えるチャレンジスピリッツが為させた業なのは間違いないが、それでもオーナーブリーダーという環境になければダービー挑戦は難しかったと谷水は回顧している。

「いずれウオッカが繁殖で牧場に帰ってきますが、オークス馬の勲章がなくても生まれた仔はわたしが使うわけです。仮にウオッカの仔をせりに出したり売るとなると、勲章が大きいわけですけどね。何年かは名前を覚えてもらっていても、5年6年後のこどもになると、せり名簿の勲章で値段がつきますから」(優駿 2007/7)

谷水信夫が創り、戸山為夫らが支え、谷水雄三が守ったカントリー牧場。彼らに影響を受けた森秀行、松田国英、角居勝彦たちが関わってタニノギムレット、ウオッカに結実した。どこかで一つ、かけるボタンが違えていれば日本の競馬史は全く別物に書き変わっていたはずだ。今の生産界、中小のオーナーブリーダーには冬の時代である。後継者がいないという名門牧場の閉鎖も静かに受け入れるべきなのだろう。ただ、幾重の偶然とホースマンの思いが重なりあって現前した競馬シーンを反芻し、その有り難さを噛み締めると、 いかにカントリー牧場という存在が奇跡的であったか、天を仰がざるを得ないのだ。願わくばウオッカの物語が新たに紡がれる糸に導かれ、再び私たちの心を揺さぶらんことを。

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2012.01.30

”クラブ馬は応援する気になれない” に想う
ぼくたちはオルフェーヴルの一口馬主になり得たか?

「関内関外日記」という、はてな界隈では著名なブログがある。独特の文体と深い洞察力に裏打ちされた記事の数々は多くの読者を引きつけてやまない。先日、そこに「おれが競馬をやめる3つの理由」と題されたエントリーが掲載され、競馬ファンの間でちょっとした話題を呼んだ。著者は長年続けてきた競馬から離れることを決意。その理由として、個人的な家計状況、社台グループの寡占が進んで 「競馬がやり込み過ぎた競馬ゲームに見える」こと、「クラブ馬を応援する気になれない」ことをあげている。どれも興味深いもので、それぞれが重なる領域もあるが、ここでは「クラブ馬」にこだわって考えてみたい。

これはもう、まったくまっ黒い嫉妬の感情なのですが、一口馬主さんたちのクラブ馬というものに、まったく思い入れが抱けないのです。むしろ、面白くない、というところ まで来てしまっています。説明するまでもなく、今の競馬といえば社台グループなんかのクラブ馬全盛といっていいわけで、これが毎度毎度おおきなところを勝つのを見せつけられるわけです。そして、たとえ良いレースだと思っても、馬券を獲ったとしても、拍手を送りたくない自分がいる。 (関内関外日記より)

クラブ馬主の隆盛はファンの裾野を広げ、競馬人気を取り戻すことになると、当たり前のように言われてきた。一方、「一口馬主」にまったく興味のない層、とりわけ寺山的に1頭の馬に感情移入して自己を重ねる、といった楽しみ方をするファンにとっては面白いことばかりではなかったかもしれない。一口クラブの伸長は相対的に馬主の地位を下げることにつながる。彼らにはメジロ、シンボリ、ニシノ、サクラなど、個性溢れるオーナーが鎬を削っていた時代こそ、豊かなあるべき競馬界に見えているのではないか。だが、誤解してはならないのはクラブ馬主が盛んになったから個人馬主が勝てなくなったわけではないということ。順序は逆だ。日本経済の停滞は馬主の体力を奪い、馬産地を厳しい状況に追いやった。そうしたなか、真っ当な改革を進めて生き残ったのが社台グループであり、個人馬主の購買力が落ちたがゆえに、その巨人はクラブ馬主に力を入れざるを得なくなった。黙っていても馬主が牧場に来て金を置いていってくれるなら、面倒なクラブ運営に大々的に手を出す必然性はなかったのだ。

関内関外日記では「象徴的だったのはオルフェーヴル」だったとし、「しょせん、誰かの馬じゃん」 「オーナーブリーダーであるとか、そういった誰かの馬であることと、一口馬主の馬であるということは大いに違う」と感じたそうだ。オルフェーヴルを所有するのはノーザンファーム系列のサンデーサラブレッドクラブ。創立は古く1988年。当時は日本ダイナースクラブと結び、代表馬はレッツゴーターキンやウィッシュドリームぐらいだった。だが、2000年にサンデーレーシングを設立して自前の組織で運営するようになると、その4年後には本家社台レースホースを勝ち鞍で上回り、以後は急速なレベルアップを遂げて次々とGⅠ馬を出すようになった。勝負服も「黒・赤十字襷・袖黄縦縞」に刷新されたから、ファンにとっては突然、強大なクラブ馬主が出現したように見えたのではないか。ブエナビスタ、アンライバルド、ヴァーミリアン、デルタブルース、 ローズキングダム、ドリームジャーニー、スリープレスナイトなど活躍馬はあげればきりがない。「今の競馬といえば社台グループなんかのクラブ馬全盛」と感じさせるのは、ひとえにサンデーレーシングの躍進によると断じても過言ではない。

不思議なのは早くから先行して展開してきた社台レースホースに対しては、そうした批判は起きなかったこと。ダイナガリバー、ギャロップダイナ、サッカーボーイなどの所属馬を 「しょせん、誰かの馬じゃん」と口にする者はなく、むしろ、雑誌や単行本ではファンに愛されるアイドルホースとして繰り返し取り上げられた存在だった。ここ10年でも、ジェニュイン、ザッツザプレンティ、ネオユニヴァース、テレグノシス、キャプテントゥーレ、ダンスインザムード、マルセリーナといったGⅠホースがいるが、「一口馬」のイメージはさほど強烈でない。それもそのはず。一口といえども、1頭の口数はわずか40。社台ではリーズナブルな3000万円の馬に出資するのにも75万円が入り用になる。それに維持費が年間30万円。平均的なサラリーマンには手が出せない。実はシンボリルドルフもシンボリ牧場が経営するクラブの所属馬だった。こうした高額なクラブの馬たちは「一口馬」と身近に引き寄せられるものではなかった。ファンもそれは重々承知していた。

サンデーレーシングも社台RHとシステムは変わらない。年明けのAJCCを制したルーラーシップなど募集価格1億8000万円。一口の価格は450万円だ。ちなみに兄のサムライハートは一口550万円で募集されたが、1000万特別を勝つのが精一杯で引退している。では、虎の子の貯金を叩けば誰でもルーラーシップを買えるのかというと、そうは問屋がおろさない。良血馬はあっという間に満口になってしまうため、それまでの実績ある会員に枠は優先的に割り振られる。つまり、希望する馬に出資するためには、何年もかけて人気のあまりない馬に投資して「功徳」を積まねばならないのである。そうして、ようやく出資できたのがサムライハートだったりするわけだ。ステイゴールド産駒のオルフェーヴルはリーズナブルな一口150万円だったが、こうした当たりを引くにまでには数を打ち続ける十分な「弾」が欠かせない。にも関わらず「サンデーレーシング=手軽に参加できる一口馬主」 なる誤解が流布しているのは2000年代、ちょうど同じ時期に人口に膾炙してきた社台系の大衆向けクラブ(口数が10倍で低価格のキャロットクラブなど)と混同されてしまったからではないか。サンデーレーシングの吉田俊介代表は下記のように述べている。

「クラブの会員の中には個人で競走馬を所有されている方もいますし、その一方でクラブの会員だった方が、馬主としての流れをここで掴み、自分の勝負服で競馬をさせたいとの理由で、セレクトセールで競走馬を購入されたこともあります」 (優駿 2011.7)

現在、サンデーレーシングの会員数は1万人を超えるというから、裕福な人々ではあるにせよ経済状況は様々に違いない。ただ、クラブがもっとも大事にしたい顧客とは馬を1頭買って本物の馬主になってくれるような潜在層だろう。三冠馬を手に入れられたのは、そうした1万人のなかの40人である。俺もちょっと小金があったらオルフェーヴルで大儲けできたのに、などというのは誇大妄想にすぎる。社台RHやサンデーレーシングの提供馬と、キャロットやレッドの募集馬を同じく「一口馬」と括るべきではない。厳密に分けて捉えたほうがいい。

どこか遠く離れた存在である個人馬主ではなく、ひょっとしたらそこのスタンドでサンデーレーシングの勝負服のレプリカシャツ着たやつが、オルフェーヴルならオルフェーヴルを一口持っているかもしれない/ たとえば自分が大学を辞めないで卒業して、それなりの就職でもしていたら成りえたかもしれないレベルの人間が、一口持っているかも知れない、ということです。そこにはなにか目を背けたくなるものがあるわけです。(関内関外日記)

果たしてそうだろか? 我が身を鑑みれば、運良く今より倍の給料がもらえる会社にいたとしてもオルフェーヴルの出資者にはなれていないと思う。嫉妬心は自分が同レベルだと見做す対象にしか沸かないもの。そういう意味ではアラブの石油王に対するのと同様、サンデーレーシングの上層会員を妬む気持ちにはならないのだ。身も蓋もない結論と言われそうだが、オルフェーヴルは庶民に手の届かない馬。目を背ける対象ではない。また逆説的になるが、大衆向けクラブがクラシックを席巻するようになったとしても嘆くに当たらない。私もキャロット会員だが、クラブ馬の真のオーナーは吉田勝己だ。 「レプリカシャツ着たやつ」は400分の1の金を差し出し、馬主気分を味わっているに過ぎない。馬主の権利は何ひとつないのだから、他人も存分にクラブ馬を応援すればよいのだ。やはり個人馬主の減少に悩むアメリカでは大衆向けクラブを真似た法人を設立する動きがある。広く薄く競馬産業を支える仕組みとしてクラブ馬主は優れているし、すべて個人馬主が負担できる時代でもなくなった。だから、あなたがオルフェーヴルを見て競馬から離れようとしているなら、どうか考え直してほしい。競馬を捨つるほどの嫉妬心はありやと。

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2012.01.28

川崎記念快勝 交流重賞19勝目のスマートファルコン
究極の”外弁慶”は遂にドバイへ挑む

25日、単勝1.1倍に支持された川崎記念を快勝したスマートファルコン。楽にハナを奪うと3コーナーから一気に加速し、後続に影を踏ませることなく、2着のランフォルセに4馬身差をつけて逃げきった。まったく危なげない勝利であった。しかも、時計の出る不良馬場だったとはいえ、2年前にヴァーミリアンがつくったレコードを2秒更新する驚異的なタイム。レース後、「この馬の実力はすでに世界クラス」(netkeiba)と鞍上の武豊が語ったのも、あながちリップサービスばかりとは言えまい。暮れの東京大賞典ではワンダーアキュートにハナ差まで迫られ、どちらが勝っても不思議ではない辛勝だった。この一戦から年齢による能力の衰えがあるのではないかと囁かれていたが川崎記念はきっちりと調教を積んで臨み、不安を呈する外野の声を黙らせてしまった。これで一昨年のJBCクラシック以来、9連勝を達成。何と交流重賞は通算19勝目というから凄い。内弁慶という言葉はあるが、この馬は差し詰め「外弁慶」と呼ぶべきか。

スマートファルコンは中央馬でありながら、徹底して地方のレースにこだわったローテーションを組んできた。最後に中央のレースに出走したのは2008年8月、小倉競馬場のKBC杯である。それ以降、金沢の白山大賞典を皮切りにして、園田、佐賀、浦和、名古屋、盛岡、門別、大井、船橋、川崎と、24戦すべて地方競馬場を回っている。去年の帝王賞からはGⅠを中心に使われているが、それまではGⅡ、GⅢと交流重賞でも格下のレースを選んでいた。つまり、勝てるレースで賞金を稼ぎ、競走生活を短くするような消耗の激しいレースは避けようという、名より実を取る戦略を忠実に守ってきたのだ。ダート馬の評価が低いなかにあっては種牡馬としての価値は期待できず、現役生活で稼げるだけ稼ぐのは馬主経済にとっては理にかなっている。獲得賞金は中央では6048万円しかないが、地方では8億円にもなる。 トータルでは有馬記念や宝塚記念を勝ったドリームジャーニーを上回る額だ。

一方で陣営への批判がなかったわけではない。砂が深い地方競馬場ばかりに引きこもり、 フェブラリーSやジャパンカップダートをはじめ、中央のレースから逃げているのは”卑怯者”だというのだ。勝負付けの済んだ相手に圧勝しても、ファンにしてみればレースの面白味がない。もっと強いライバルとぶつかって、名勝負を見せてほしいと思うのは当然だろう。去年、人々はダート王者に登りつめたトランセンドとの世紀の一戦を待ち焦がれた。3月、トランセンドは果敢にドバイワールドカップに挑んで2着。大きな賞賛を浴びた。かたやスマートファルコンも一昨年の東京大賞典をレコード勝ちしてピークを迎え、6月の帝王賞ではエスポワールシチーを9馬身ちぎり捨てていた。私は両馬の対戦は10月の南部杯で実現するのではないかと思っていた。復興支援のため府中で開催されることになった南部杯を盛り上げることは、地方競馬に恩返しすることにもなるからだ。しかし、それは願望で終わった。 あくまで陣営はドライに秋初戦を船橋の日本テレビ盃に定めた。

本格化なって初めての顔合わせは11月、大井のJBCクラシックで叶った。南部杯を勝ったトランセンドはジャパンカップダートに直行せず、わざわざ地方に乗り込んできた。 敵が来ないのならばこちらから出向く、トランセンド陣営の気概だった。 レースはトランセンドが2番手につけて、ハナを切ったスマートファルコンに競りかけはしなかった。せっかく控える競馬を覚えたトランセンドに無理な競馬をさせたくなかったのかもしれないし、休養明けの南部杯で激しいレースをして疲労が残っていたのかもしれない。ともあれ、一騎打ちは自分の競馬をしたスマートファルコンが中央ダート王を退けてチャンピオンに輝いた。 だが、万人が勝負あったと納得したわけではなかったようだ。JRA賞の最優秀ダートホース部門、トランセンドは271票が投じられたのに、スマートファルコンはわずか13票しか得られなかった。トランセンドにはドバイでの活躍があったり、中央のレースしか対象にすべきでないと考える記者が多かったのは確かだろうが、それにしても票差はあまりに開いていた。

スマートファルコンはNARグランプリでダートグレード競走特別賞を受賞した。地方所属ではない同馬に年度代表馬の資格はなく、選出されたのはフリオーソだった。中央所属馬として最多勝記録の21勝(次位はヤマブキオーの20勝)、最多重賞勝利記録の19勝(次位はホクトベガ、ヴァーミリアンの13勝)という歴史的な偉業を達成しながら、JRA賞は授与されないのが現段階の評価である。とはいえ、主戦の武豊、管理する小崎憲調教師も、このまま地方専用馬に留めておくつもりはないようだ。去年は体調が整わないとして回避したドバイワールドカップだが、今年は「馬はいつものレース後の感じと変わらないですよ。 あとは選ばれるのを待つだけ」(スポニチ)と小崎師から威勢のいい言葉が聞こえ、来週には現地視察に赴くことにもなっている。ドバイは去年から芝とダートの中間とされるオールウェザーが導入され、深い砂ばかり走ってきたスマートファルコンには不利な条件に違いない。逆にだからこそ結果を出せば評価は一変し、種牡馬への手形は約束されよう。 中央には姿を現さないスマートファルコン、究極の外弁慶ぶりをドバイで発揮してほしい。

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2012.01.24

【訃報】ミホノブルボンで二冠 小島貞博調教師が自殺
「馬づくりは人づくり」戸山イズムを受け継ぎ

小島は寡黙な男で多くは語らないが、不遇な少年時代をすごし、中学を卒業して私のもとにきた。それ以来ずっと戸山厩舎の専属騎手として、というよりも家族の一員のようにして苦楽をともにしてきた。走る馬にも乗ったが、どちらかといえば走らない馬のほうが多かったろう。その小島に、ダービーの栄冠をとらせてやりたかった。 (戸山為夫 『鍛えて最強馬をつくる』 より)

ジョッキーとして日本ダービー2勝、中山大障害2勝。その他、皐月賞、オークスなどの大レースを制した小島貞博調教師が23日、搬送された栗東市内の病院で死亡した。 報道によれば、厩舎の2階で自殺を図ったものとみられている。享年60。定年まで10年を余し、まだ志半ばであったろう。 ”小島貞”と聞いて、多くの人々が思い出すのはミホノブルボンとのクラシックロードではないか。 750万円の安馬で血統も芳しくないミホノブルボンだったが、入厩した頃から心肺機能は抜きん出ていた。小島が所属していた戸山為夫厩舎は坂路を用いたスパルタ式のインターバルトレーニングを課すことで知られていた。戸山はミホノブルボンを自ら信じる手法で徹底的に鍛えあげた。そして迎えたデビュー戦、舞台は中京の1000メートル。鞍上は小島だった。スタートでミホノブルボンは出遅れてしまう。スプリント戦では挽回不能な不利である。ところが、 直線を向くや上がり33秒1の脚を繰り出して豪快な差し切り勝ち。しかも、タイムはコースレコードだったから人々は驚いた。ここから戸山、小島の師弟とミホノブルボンの戦いが始まった。

平場の500万を快勝し、駒を進めた朝日杯は圧倒的な1番人気に支持された。結果はヤマニンミラクルにハナ差先着する辛勝。小島は競馬を覚えさせようと2番手に控えたが、道中はミホノブルボンと喧嘩する形になってスタミナをロスしたのが原因だった。父母ともに短距離血統ということもあり、マスコミからは早々に早熟のスプリンター、クラシックでは用なしと烙印を押されてしまった。だが、この朝日杯は戸山と小島に覚悟を決めさせることになった。前に馬を置けば引っ掛かる。ならば、最大の武器であるスピードを活かすにはハナを切るしかない。そのためにバテないだけのスタミナは調教でつけようと。春初戦、重馬場で行われたスプリングS。ミホノブルボンは 一度も先頭を譲ることなく7馬身差の圧勝。皐月賞はナリタタイセイを2馬身半、ダービーはライスシャワーを4馬身突き放し、クラシック二冠を逃げきりで制した。ミホノブルボンは「サラブレッドは血で走らない。鍛えてこそ強くなる」(別冊宝島騎手名鑑) という戸山イズムを体現したのだった。

シンボリルドルフ以来の三冠馬となることをかけて菊に挑んだ秋。 距離不安を煽る外野の声はいっそう喧しく、小島へのプレッシャーも日増しに高まっていた。さらに菊花賞に参戦するキョウエイボーガンが何が何でも逃げると宣言したため、どんな競馬をするのかジョッキーの手綱さばきが最大の焦点になった。逡巡する小島に戸山は指示を出す。ミホノブルボンのペースを守れと。秋初戦、2200メートルの京都新聞杯をレコードで逃げ切っていたミホノブルボン。タイムは2分12秒フラットと、1ハロンあたり12秒のラップを刻んでいた。同じように3000メートルの菊花賞も本来のスピードを殺すことなく、ハロン12秒を維持すれば後続はついてこれない。それでゴール前は歩くようにバテても、リードを守り切れるだろうというのが戸山の考えだった。本番、猛然と先手をとったキョウエイボーガンを見て、小島は2番手につける。中盤、ペースが落ち着つく。しかし、小島はハナを奪い返すことはせず一緒にラップを緩めた。13秒台が連続する普通の菊花賞だ。最後の直線は一杯になり、生粋のステイヤー、ライスシャワーに差されて2着。それでも脚があがりながらマチカネタンホイザを抜かせまいとする様子は感動的でさえあった。

競馬にタラレバはナンセンスだし、戸山の指示通りに乗っていたとしても惨敗を喫していたかもしれない。小島は言い訳めいたことは一切しなかったが、敬愛する師匠の指示に背いたのは、実直を絵に描いたような小島ならではの責任感がさせたように私には思えてならなかった。GⅠの1番人気馬でリスクの大きな賭けに出ることは、馬券を買ったファンを裏切ることになる。最低、連対は確保しなければならないと。これがミホノブルボンの最後のレースになった。そして、栄光のダービーからちょうど1年、戸山が以前から患っていた食道癌のため急逝し、厩舎は解散する。戸山は「馬づくりは人づくり」という信念を持っており、管理馬には小島、小谷内ら所属騎手しか乗せない姿勢を貫いていた。かたや戸山厩舎の調教助手から調教師になり、管理馬を引き継いだ森秀行は師と正反対にビジネスライクに徹するのがポリシーだった。騎手は有名どころを重宝した。小島は乗り鞍を失って成績は急下降していく。そうしたなか、かつて先輩騎手だった鶴留明雄師が手を差し伸べ、小島はチョウカイキャロルでオークスを、タヤスツヨシでダービーを勝つ。ムチを置いたのはその6年後。30年間の騎手生活で495勝は決して多いものではないが、真摯な人柄が共鳴する人々を援引し、競馬史に燦然と輝く記録を残したと言えるのではなかろうか。

2003年、技術調教師を経て栗東で開業した小島。3年目にはテイエムチュラサンがアイビスサマーダッシュを勝ち初重賞制覇、その暮れにはテイエムドラゴンが中山大障害を勝利した。主戦騎手には娘婿の田嶋翔を据えて、人を育てる戸山イズムを実践してもいた。小島こそ戸山の考えを継ぐ者であった。そうした姿が信頼を勝ち得たのだろう。テイエムのほか、メイショウ、シゲル、ヤマカツといった大馬主から預託を受けた。去年の勝ち鞍は14勝と、全国リーディングでは真ん中あたりの成績だ。騎手時代と同じく、地味ではあるが堅実に歩を進めているように見えていた。それがなぜ自ら命を絶つまで追い込まれたのか。「調教師免許更新の面接を前にして、厩舎経営について悩んでいた」(スポニチ)とも報じられるが、現時点では詳しいことは明らかになってはいない。ただ今はミホノブルボンとのコンビに胸を高鳴らせた一ファンとして、静かに手を合わせるのみである。小島と戸山、ミホノブルボンが紡いだ物語はほとんどの騎手がフリーとなり、一部のジョッキーに有力馬が集中する時代には再来しないだろう。 ゆえに私たちは馬上で桃色の勝負服に身を包み、真っ直ぐに右手を掲げた小島の姿を思い浮かべながら、あの挑戦をいつまでも懐かしむのである。

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2012.01.17

書評「消えた天才騎手」 馬事文化賞に相応しい力作

2011年度、JRAは馬事文化賞に 「消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡」 を記した島田明宏氏を選んだ。前田長吉は太平洋戦争中の1942年にデビューし、翌年、牝馬クリフジを操って日本ダービーを制した伝説の騎手だ。当時、戦火が激しさを増すなか競馬は開催中止となり、前田も1944年秋に召集されて満州へと出征。二度と故郷の地を踏むことなく、23歳の若さで生涯を終えた。ジョッキーとして活躍した期間は正味2年しかない。残された資料は少なく、何処でどう最期を迎えたのかさえ正確には分からずにいた。前田に関心を持って消息を訪ね歩いた大川慶次郎も、遺族にすら行き着かなかったという。ところが2006年、厚生労働省による戦没者遺骨の収集事業で、前田がシベリアに抑留されて亡くなっていたことが判明する。遺骨は八戸の生家に暮らす親族のもとへ返還されることになった。本書は前田の遺族やわずかに現存する足跡を丹念に辿り、謎に包まれていた最年少ダービージョッキーの全身像を明らかにしたノンフィクションである。

競馬は戦争と切っても切れない関係にある。軍需資源であった「馬匹」の改良は兵器の性能向上と同じく、富国強兵をめざす国家に不可欠なものであった。優れた種馬と牝馬を選定し、さらに優秀な仔を誕生させる。そのためには競馬を振興することが最善の道であり、財源を確保するには馬券を発売するのが効率的であるとされたのだった。青森の農家に生まれた前田がどう人生を選択して上京し、見習い騎手の身でクリフジの手綱を取るに至ったか、本書は時を追って紐解いていく。前田が所属したのは名門・尾形藤吉厩舎。「大尾形」と称され、通算1670勝をあげた日本競馬の礎を築いた調教師だ。本来ならクリフジの主戦騎手だったかもしれない厩舎の兄弟子たちは次々と戦地へ赴いていった。そのなかには戦後、復員してトップジョキーとなった保田隆芳もいた。大卒の初任給が60円だった時節に4万円の高値で落札されたクリフジが回ってきたのは、前田の新人離れした技術もさることながら、戦争による騎手不足も背景にあったのだ。

本書を読み進めると前田の数奇な運命に引き込まれていくが、決して個人的なヒストリーをなぞっているだけではないことに気づく。国民が悲惨な戦いの渦に巻き込まれ日本競馬が消滅することさえ危ぶまれた時代に、読者を向き合わせてくれるのだ。一度、国家の非常事態が起きれば、競馬は真っ先に立ち行かなくなる産業の一つに違いない。多くの時間と労力を投じなければ、何千頭ものサラブレッドを生産、育成し、競馬場で競わせることはできない。去年の東日本大震災で私たちはその一端を垣間見たはずだ。だからこそ、膨大なリソースを費やして生み出された1頭の最強馬は芸術品であり、競馬は文化なのだと断言できる。そして、戦中、戦後と競馬を守り続けた先人の努力がなければ、今の繁栄はなかったことは言うまでもない。言うまでもないが、ともすれば忘れがちな事実を、改めて想起させるのが本書が高く評価された所以でないか。いかに現在の中央競馬が恵まれた環境にあるのか、若い騎手を始めとする関係者にも読んでもらいたい。折しも今年は近代競馬150周年にあたり、大掛かりなプロモーションが展開されている。歴史が個人史の重なりであるならば、さしずめ競馬史はホースマンの生き様が輻輳した産物である。前田長吉という欠けていた大きなピースを埋め、あわせて苦難の競馬史を描ききった本書は馬事文化賞の名に相応しい。

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2012.01.03

自炊生活のススメ! ケイバ本電子化作戦を発動せり

溜まり続ける雑誌や週刊誌、一口クラブのカタログ、POG本…。気がつくと本棚はあふれ、見返したい記事があっても探す手間がなくて、泣く泣くまとめて資源ゴミへ。きっと競馬ファンなら経験があるはず。競馬関係の資料は整理して手元に残しておくことができないか、私自身にとっては積年の懸案だった。過去にはファイリングを試みたこともあったが、 いちいち面倒なのと、索引もなくて後からお目当てのものを探せない欠点に1年ほどで挫折してしまった。しかし、今や大量、且つ簡単に書籍を電子化するドキュメントスキャナーが発売され、ソフトで処理すれば検索もかけられる時代がやってきた。そこで年末年始、わが競馬資料の電子化作戦を発動し、一気にこの戦いに決着をつけることにした。「天気晴朗なれど浪高し」、いざ!

何はともあれ必要なのはスキャナー。色々と調べたが、価格の手頃さ、スペック、 トラブルの少なさなどを勘案すると、一つしか選択肢はなかった。富士通から発売されている 「ScanSnap S1500」 。家庭で自炊に勤しむ人々にとって定番中の定番機種である。操作は非常に分かりやすく、原稿をセットしてボタンをワンプッシュすると、次々に紙が吸い込まれ、同時に両面スキャン。パソコンに PDFファイルとなって保存される。同梱されているソフトはOCR機能を備えており、自動的にスキャンしたデータを検索可能な文書にしてくれる。購入すればけっこうな値段がする「Adobe Acrobat 9」も付属しているので、並び替えや結合が自由自在に行えるのも便利だ。 「ScanSnap S1500」 は去年末にソフトが更新された新バージョンが発売されたが、ハードそのものは変わっていないので1万円ほど安い旧バージョンのほうがお得だと思う。私は以前のものを購入したが、在庫がなくなれば終わりとのこと。

もう一つ、自炊に欠かせないのが裁断機である。一枚一枚カッターでバラすのは現実的でない。裁断機というとオフィスや学校にある、上から刃を下ろす垂直式のものを思い浮かべる人が多いかもしれない。しかし、ああしたものは大量の書類を切断することはできるが数万円と高価。重量が10キロ以上あり、さらには子どもがいる家庭に置くには危険性もある。私が購入したのはカール事務器のディスクカッター。紙を板に固定し、丸型カッターを動かすことで切断するタイプのもの。一度に40枚までしかセットできない難点はあるものの、機械はコンパクトで収納場所に困らない。値段も1万円から1万4千円前後に留まり、替え刃なども数百円と安い。何よりケガをする可能性も低くなる。同社のディスクカッターは裁断サイズによって、A4までの 「DC-210N」、 B4までの 「DC-220N」、 A3までの 「DC-230N」 とある。人気は一番小さなA4サイズだが用途によって選択すべきだろう。私はB4のものを選んだ。

さて、いよいよ実践。週刊ギャロップを解体してみよう。マイナスドライバーだけ用意してほしい。こうした雑誌は中綴じという方法で製本されており、針で綴じられている。そこで真ん中のページを開いて、マイナスドライバーを差し込んで針を起こす。その後、背表紙からドライバーを使って針を抜く。ホチキスの針を取るのと同じ要領だ。次に裁断。本を見開きにセットして、真ん中の折れ目で切断する。ディスクカッターの場合、黄色い半透明のプラスチックがカットラインを示してくれるので迷うことはない。ガシャガシャと黒いボックスに入った丸型カッターを2、3回、上下させる。とアラ不思議、1ページごとバラバラになってしまった。ギャロップは200ページ前後だから、半分に折ると50枚の紙を切ることになる。ディスクカッターの上限は40枚だが、紙が薄いので分割する必要はないだろう。


続いてスキャンである。もちろん、丸ごとスキャンしてもいいのだが、私は広告や想定馬柱など要らないページは手で省いている。そちらの方が時間も短縮できる。だから、実際にスキャンする枚数は半分ほどだ。FAXを送信するときのように裁断した束を裏面にしてアタマからADF(自動給紙装置)に挿し込む。ボタンを押すと両面スキャンが始まる。処理枚数は1分間に20枚、40ページ。スピードは快適。3分から4分で完了。電子版ギャロップの一丁上がりである。ただ、どうしても避けて通れないのが紙詰まりや重送といったトラブル。別冊宝島や赤本など硬い紙では問題はほとんど起きないが、週刊誌の薄い紙や写真が印刷されたツルリとした紙をスキャナーは苦手とする。 「ScanSnap S1500」が優秀なのは超音波センサーによって、ほぼ100%、トラブルを検知できること。スキャン中、PCにはモニタリングウィンドウが表示される。例えば複数枚、紙を送ってしまった場合はすぐにストップ。最後に読み取ったページを表示して、正確な位置から再開できるようになっている。

「ScanSnap S1500」は基本的にA4サイズまでの対応だ。ギャロップより一回り大きい「競馬ブック」も横幅はA4サイズなのでスキャンするのに支障はない。また、A4より大きい 「競馬最強の法則」も、両端の余白を裁断する手間をかければ本文を傷つけずに電子化可能だ。「優駿」や単行本は中綴じでなく、背が糊で接着されている。ページ数があるのでカッターで切り分けて「分冊」から裁断しよう。ハードカバーの場合も表紙をカッターで切り離せば要領は同じだ。私はこれまで150冊以上スキャンしてみたが、部屋のスペースがあいて実に爽快である。それに二度と開かず捨ててしまっていただろう本に、いつも出会えるようになったのは幸せなこと。先月、自炊代行業者を相手に作家たちが裁判を起こしたニュースが話題になっていた。「作品は血を分けた子供と同然」 「裁断された本は正視に耐えられない」という意見もあった。ならば、せめてもの贖罪にと私も自著を裁断、電子化させてもらった。クリエイターの権利を守るのは大切だが、電子化そのものは広く読者の利益に資するものだ。紙は紙の良さがあり、装丁を含めて取っておきたいものは多くある。一方で電子化して構わないと感じたものは、どんどんスキャンしていこうと思う。



*ちなみにギャロップは昨秋から電子版の販売を開始している。最初からそちらを購入すれば自炊の必要はない。また著作権法の観点から雑誌についてはサービスの対象外とする代行業者も少なくない。

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2011.12.20

有馬記念に”神”はいる? 再び武豊は奇跡を起こすか 

1990年12月23日、中山競馬場は17万の観衆で埋め尽くされていた。史上空前の競馬ブームを巻き起こしたオグリキャップは4番人気。天皇賞秋、ジャパンカップと大敗し、「もう走らせるな」という声がマスコミからもファンからもあがっていた。引退レースと決めた有馬記念でコンビを組むことになったのは武豊。アイドルホースのラストランにアイドルジョッキーが乗って勝つ。そんなベタな台本が現実のものとなるなど真面目に語るファンはいなかった。だからこそ、直線で芦毛の馬体が先頭に躍り出たときにはスタンドから絶叫があがり、レース後はいつまでもオグリコールが響き続けていたのだ。このとき武豊は21歳。以降、競馬界を代表するホースマンとして名を知らしめ、 2008年まで16年間に渡って騎手リーディングのトップを堅持してきた。一昨年、その武豊は落馬事故をきっかけにして不調に陥り、フィジカル面では大きな問題がなくなったはずの今年も苦しい闘いを強いられている。

デビュー2年目、スーパークリークで菊花賞を制覇してから、去年のジャパンカップをローズキングダムで優勝するまで、 武豊は前人未到の中央GⅠ23年連続勝利の記録を更新してきた。しかし、今年のGⅠでは連対すらできていない。それもそのはず。 19回騎乗したうち10回を二桁人気の馬が占め、最初から勝ち負けにならないケースが少なくなかったからだ。それでも、この秋は11番人気トレイルブレイザーをジャパンカップ4着、ジャパンカップダートで10番人気ラヴェリータを4着に導くなど、さすがユタカと喝采を贈りたくなる手綱さばきを見せている。成績低迷は技術的、体力的な問題ではなく、有力馬が回ってこないことがほとんどの理由ではないか。 netkeibaのコラムで武豊と関係の深い島田明宏氏は、またすぐに年間150勝するようになるだろうと考察し、「馬が外国人騎手の手にわたってしまったことも、GⅠから遠ざかっている一因」と指摘している。もちろん、正鵠を射ていると思うのだが、一方で福永や岩田にも勝利数で倍も水をあけられているのは、社台グループの有力馬に乗れなくなったことに言及しなけれ説明はできまい。先週まで武豊の勝ち鞍は62。このうち社台グループの所有馬は4鞍。キャロットファームが2鞍、GⅠレーシングと吉田和美名義が1鞍ずつで、いずれも条件戦だった。

表立って社台グループと武豊の確執を伝えるメディアはない。わずかに競馬最強の法則が報じるところでは、天皇賞春でのローズキングダムの大敗をきっかけにして、「夏場に東西トレセンの厩舎関係者に 『今後は武豊を乗せないでくれ』という趣旨の一斉通達が出された」という。 だが、わずか1度のミス(仮にミスだとして)で、一騎手に対して社台グループが結束してここまでの仕打ちをするだろうか。真相はよく分からない。こうしたなか、阪神JFで騎乗したサウンドオブハートは重賞実績もないにも関わらず、1番人気に支持された。記録更新への期待が込められたオッズだった。結果的に枠順が響いて3着に敗れたのだが、武豊は心境を素直に綴っている。

以前なら「人気になり過ぎ」としかめっ面をしていたところかもしれませんが、今回はファンの皆さんの支持が不思議なほど暖かく感じました。/ボクの24年連続のGI勝利記録の継続がここでつながるはず、と信じてくれる方がこんなにもいらっしゃるとは、正直想像していませんでした。結果にはつなげられませんでしたが、勇気をもらった気がしています。今週、来週は中山でGIが開催されますが、ボクは阪神で騎乗する予定です。記録はどうやら途切れてしまったようですが、久々に「ユタカ人気」を経験できたのはうれしかったです。お礼を申し上げます。(武豊オフィシャルサイトより)

見方によっては敗北宣言にもとれる文面。しかし、まったくもって驚かされるハプニングが起きた。有馬記念でペルーサに乗るはずの横山典弘が先週、騎乗停止になって安藤勝己に乗り替わりに。安藤が騎乗を予定していたレッドデイヴィスに武豊が指名されたのだ。同馬はオルフェーヴルを負かしたこともある素質の持ち主。実績は足りなくても、底は見せていない。もし、これで武豊が優勝するとしたら、あまりにも出来すぎたストーリーだろう。漫画では面白く読めても、こんなことを根拠にして予想は組み立てられない。だが、オグリキャップに代表されるように、誰しもが感動できる物語が繰り返されてきたのが有馬記念である。今年のCMはオグリキャプ復活が題材で、キャッチコピーは「神はいる。そう思った」。競馬の神を信じるか否かはファンそれぞれ。ただ、確かに言えることは、2011年、特別な年の暮れを目前にして、ようやく役者が揃ったということだ。いま武豊は42歳。あの有馬記念から、ちょうど倍の年齢を重ねたことになる。果たして今年はどんなドラマを見せてくれるのか。

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2011.11.16

書評「サラブレッド穴ゴリズム」 ”思想”をデータに秘す

今年、創刊20周年を迎えた「競馬最強の法則」。巷の予想を一変させる「スピード指数」や「ラップ解析」など、数多くの馬券理論を世に送り出してきた。その中でも創刊まもない頃から今日まで長年に渡って連載を続けているのが、全重賞レースを取り上げる「大穴必中大作戦」だ。豊富なデータを用いて「買う馬」「穴馬」を浮き彫りにし、「消す馬」をばっさりと提示する。筆者は「競馬予想職人」を名乗る日夏ユタカ。私は十数年来、同誌の読者だが、良質なデータを厳選する日夏の手法には多分に影響を受けたクチである。その日夏が今月、単行本「サラブレッド穴ゴリズム (競馬ベスト新書)」 を世に送り出した。

競馬ファンのなかにはデータ予想を毛嫌いする人もいる。実際、「データは必ず覆されていくものなのに、過去の結果に捕らわれては馬券は取れない」という意見を何度も耳にした。だが、日夏に限っては、そうした批判は当たらない。ひとつひとつのデータは「単なる傾向の羅列に終わらず、サラブレッドはどういう生き物であるか」考え抜いた末、提示されたものだからだ。それがデータに秘められたアルゴリズムであり、これまでヴェールに包まれてきた思想が惜しみなく公開されているのが「サラブレッド穴ゴリズム」なのだ。例えば菊花賞。全馬初めての距離である3000メートル戦で穴馬を絞り出すデータは何か。日夏は「距離適性」ではなく、「距離延長適性」だとする。

3歳の距離未経験馬による戦いだけに、騎手もおのずと慎重にレースを進めるのが常。それでスローペースから高速上がり決着という傾向になりやすく、スタミナに軸足を置いても不発に終わる可能性も少なくないのです。/スローペースになりやすい長距離戦でなにより求められるのは、じつは折り合いなので、過去に距離延長で緩い流れになったときに高いパフォーマンスを示していた馬を炙り出す作戦です。(第1章「だから荒れる!全馬初経験ー距離延長馬の狙い方」より)

去年の菊花賞で、それまで距離延長のレースで複勝率が8割以上だった馬は4頭。そのうちの7番人気ビッグウィークが勝利し、13番人気ビートブラックが3着に入った。1番人気ローズキングダムが絡んだ3連単は33万円を超える配当になった。穴ゴリズムが「経験の浅い若駒では距離延長での実績が大きなアドバンテージになる」とするのは本質を看取するがゆえ。サラブレッドを数字としてしか見ない予想とは対局にあることが分かるだろう。本書では思想に裏付けられた30余りの必中法が、具体的なデータやレースとともに解説されている。斤量、仮柵、血統、馬体重…、その視点は様々。従来の思考法を変更することを読者に迫るものも少なくない。データ派にもアンチデータ派にも薦めたい一冊だ。

[敬称略]

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2011.09.23

社台と全面提携 シルクホースクラブはどう変わる?

かつてはシルクジャスティスやシルクプリマドンナ、シルクフェイマスなど早田ブランドで人気を博し、 その後は日高の中小牧場の生産馬を擁してシルクメビウス、シルクフォーチュンといった重賞ウイナーを輩出してきたシルクホースクラブ。 近年は馬主ランキングの15位あたりで留まっていたが、キャロットファームが去年3位まで順位を押し上げ、東京ホースレーシングがレッドディザイヤら重賞勝ち馬を相次いで誕生させるなど華々しい活躍を遂げるなか、大衆向けクラブとして存在感は薄れつつある。シルクは現3歳世代で50頭の募集をかけているが、先週まで勝ち上がり率は24%、2勝馬率は4%。83頭募集したキャロットの勝ち上がり率37%、2勝馬率12%と比べると圧倒的に物足りない数字だ。 何より看板馬がいない。3歳の大将格は1000万下のシルクシュナイダー、シルクオフィサーぐらい。リアルインパクト、アヴェンチュラ、 ピュアブリーゼ、フレールジャックといったG1戦線で活躍する馬を揃えるキャロットと同じ土俵で戦うには分が悪すぎる。実際、社台グループ系のクラブは高額馬から即満口になっているが、日高系のクラブは厳しい経営を迫られている。

今年、金融庁の指導により、未勝利馬などに対する補償制度が廃止されたことで、 いっそうクラブ間の格差は広がるだろうと考えられていた。 会員は補償目当てに出資馬のいたクラブに捕らわれる必然性がなくなり、年毎に欲しい馬がいるクラブを渡り歩くことができるからだ。 会員の馬を選ぶ目は厳しくなり、募集馬の質そのものが経営に直結することになる。 こうしたなかシルクは社台グループとの全面的な提携という決断を下した。今年度、募集する1歳馬52頭のうち、ノーザンファーム産は21頭、白老ファーム産は18頭。キャロットと見紛うばかりの社台血統が並ぶ。それだけではない。シルクが活動の拠点としてきた天栄ホースパークが来月1日付でノーザンファームに売却されることになったのだ。生産から育成まで、身も心も社台に染まると言っていいだろう。また挨拶がわりなのか、2歳のディープインパクト産駒が緊急募集されることになった。アドマイヤカーリンの全妹、ピイラニハイウェイの半妹など4000万円から6000万円の3頭。 いずれもセレクトセールで1度は落札された馬でキャンセルなどの理由で流れてきたのだろうが、 超のつくノーザンファームの良血馬だ。

私自身は両クラブで会員を続けてきた。キャロットでは社台産に出資し、シルクでは日高の馬を応援したいと考えてきたからだ。どちらも相馬眼のなさ故、それほど走った馬はいないが、残念ながらシルクのほうが不満を感じることが多かった。 例えば、名門と言われる牧場の生産馬に複数出資していたが、値段やコメントの割にサッパリ。 調教も満足にできず、どん尻を追走してはタイムオーバーで引退と、まったく楽しむことができなかった。 ところがある時、その牧場の個人馬主への売却馬が目覚しい活躍をしているのと対照的に、8割のクラブ提供馬が惨憺たる成績である事実を知ってしまった。 ちなみに今年の3歳7頭は、ようやく人気薄で1頭が未勝利を脱出したよう。 提供馬の選択は牧場が行っていると公言している。会員を食い物に差し出すような丸投げとは、クラブは何をしているのかとあきれてしまった。以上は八つ当たりの言いがかりの類かもしれない。ただ一会員として、こう感じたのは事実だ。私は一口クラブまで社台の寡占が進むのは理想的ではないと感じている。しかし、今回の提携は会員ひとりひとりと真摯に向き合い、サービスを向上させてくれる、きっかけになるのではと期待してもいるのだ。もうしばらくシルクにもお世話になるつもり。会員の満足度を高めるよう、より良い方向へ成長してほしい。

*成績データは「一口馬主DB」より引用した。

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2011.08.30

オフサイドトラップを悼んで あの天皇賞秋の”悲運”

98年の天皇賞・秋を制したオフサイドトラップが29日、 腸障害のため繋養先の明和牧場で亡くなった。20歳だった。 オフサイドトラップはトニービン2年目の産駒で、同世代にはナリタブライアンらがいる。3歳1月に初勝利を収めると、セントポーリア賞、若葉Sと連勝し、皐月賞では5番人気の支持を集めたが7着に敗れた。しかし、右前脚に屈腱炎を発症し、以後は復帰、再発、休養を繰り返し、期待に見合った成績をあげることができないでいた。ようやく素質を開花させたのは7歳 (旧年齢8歳)の夏だった。七夕賞で初めて重賞勝ち、続く新潟記念もトップハンデを物ともせずに快勝。そして、日本ダービー以来、実に4年半ぶりのGⅠとなる天皇賞・秋に駒を進めたのだ。この盾は日本競馬史における最大の悲劇の一つとして語り継がれている。 前哨戦の毎日王冠でエルコンドルパサー、グラスワンダーらを赤子の手をひねるように降したサイレンススズカは、天皇賞でも持て余すほどのスピードを存分に活かし、後続を10馬身以上引き離す大逃げでファンを魅了していた。1000メートル通過は57秒4。秋の黄昏、神の域に達したサラブレッドを観ているようだった。 しかし、4コーナー手前で起きたアクシデントは私たちを荒涼たる現実へ突き落としたのだ。

サイレンススズカと関係者にとって悪夢のレースである。 一方、勝ち馬のオフサイドトラップにとっても悲運な出来事ではなかったか。 直線、オフサイドトラップは早めに先頭に立つと、鞍上・柴田善臣の叱咤に答えて内から迫るステイゴールドを抑えこんだ。 屈腱炎を克服、老齢にしてのGⅠ優勝は素晴らしいストーリーだ。 勝負事にイフは無意味だとしても、ハイラップを刻んだ逃げ馬をオフサイドトラップが捕らえた可能性とて否定はできない。 だが、サイレンススズカの非業の死を目にしたファン、マスコミ、主催者さえも勝ち馬を言祝ぐ雰囲気に成らなかった。致し方がないことだった。それでもオフサイドトラップを育てた関係者の功が讃えられないことに、手綱を任されたジョッキーとして柴田は悔しい思いを持っていたはずだ。その焦燥感は裏返しとなって、あの悪名高い勝利騎手インタビューへとつながっていく。 マイクを向けられた柴田は「笑いがとまらない」と、まるでサイレンススズカの事故を喜ぶかに答えたとされる。このインタビューが後々までオフサイドトラップの偉業を曇らせてきたのも事実である。柴田はライバルの不幸を「笑いがとまらない」と言ったのか。今一度、当時のインタビューを書き起こしてみよう。

アナ:検量室に戻ってきたとき思わずヨッシャという雄叫びがありましたね?  柴田:気分よく競馬できたので、成績がこういう成績ですので、笑いがとまらないって感じです  アナ:スタートから道中どうですか?  柴田:本当にあの、気分よく馬が走ってくれたんで僕としてはタダ乗っているだけという感じでした。  アナ:サイレンススズカにアクシデントがありましたけれど、その辺りは気がつかれました?  柴田:だいぶ手前で気がついて、サイレンススズカどっちの方に動くのか心配になりましたけど、 内側にうまく入ってくれたので、それをサイレンスと一緒に入るようなことになったんですけど、 うまく捌けて。まあまあ。はい。サイレンススズカにはちょっと気の毒でしたけど。はい。  アナ:直線も力強かったですね  柴田:そうですよね。何で後ろ来ないのって感じでしたけど。ええ。  アナ:初騎乗ですね。オフサイドトラップ  柴田:はい。  アナ:8歳馬にしてのG1。すごい馬ですね  柴田:大した馬です。エライ馬です。  アナ:オフサイドトラップに一言  柴田:本当にあの、頑張ってくれたので。僕は何もしてないので、ありがとうと言ってやりたいです。  アナ:柴田善臣騎手でした。おめでとうございました。(フジテレビ・スーパー競馬)

インタビューで柴田はレース中に事故に気づいて進路を変えたこと、 またサイレンススズカに対して「気の毒だ」と気持ちを述べている。 冒頭、「成績がこういう成績」は1着という意味だ。 しかし、「笑いがとまらない」はその流れで出てきたものであるとはいえ、 「天皇賞」の重みにはそぐわない軽薄さ、ぞんざいさがある。 日常生活でも公式な場で 「笑いがとまらない」などとあまり使わない。それはジョッキーとて同じ。 どこか必死に笑顔をつくろうとしている柴田からは、主役はオフサイドトラップなのだと訴え、 ライバルの死とともに栄誉を葬り去られてかなわない、そんな心のうちが透けて見える。大レース後の昂揚感、名馬が事故死した異様な空気、関係者と騎乗馬に対する責任。複雑な心的要因が絡みあって、結果的に不用意な言葉が生まれてしまったのではないかと思う。しばしば指摘されるような柴田がサイレンススズカの死を無視したり、軽んじたとの批判は当たるまい。強くサイレンススズカを意識すればこそ、つい発してしまった言だった。

89年の日本シリーズで、近鉄の加藤哲郎は「巨人はロッテより弱い」と発言し、巨人ナインの怒りを買って逆転優勝を許したとされる。実際、加藤はそう直接は述べていないものの、未だにプロ野球史の一コマとして語られている。柴田にしても、サイレンススズカをないがしろにしたわけではない。だから、あのインタビューがオフサイドトラップとセットで伝えられていくのならば、 誰かが柴田の心情を解釈して綴るべきだろう。柴田も加藤と同様、釈明はしないのだから。 天皇賞後、有馬記念を最後に引退したオフサイドトラップは門別ブリーダーズSSに繋養されたものの、 繁殖に恵まれずに2頭の条件馬を出すのみに終わった。 母の父としても登録された産駒はいない。 もしサイレンススズカが最後までゴールを駆け抜けていたら?  それは絶えず勝者の側にも湧き続けたイフであったはずだ。 オフサイドトラップ。今はただ安らかに。

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