2008.05.15

記憶に刻まれた ”世界のG1級” さらばコンゴウダイオー

「G1級。日本のじゃない。世界のG1」「同じ重量で走らせるのは他馬がかわいそう」「函館スプリントSに出しても勝てる」「何頭タイムオーバーが出るか分からないよ」 。 2年前の夏、デビュー前から自信に満ち溢れた関係者が吹きまくったことで、大いに注目を集めた若駒がいた。スポーツ紙は週の半ばから絶賛する記事を載せ、初戦は単勝1.1倍という圧倒的な人気を集めた。どんな勝ち方をするのか、ディープインパクトを超えられるのか、日本中のファンが固唾を飲んで見つめた。その若駒は悠々と2番手につけると、4コーナーでは先頭に並びかけて直線へ。すわ、シンボリルドルフの再来か、そう思わせたのは一瞬だった。あっさりと後続の馬に追い抜かれ、どうにかこうにか勝ち馬から3馬身半差の3着に流れ込むのが精一杯。完敗だった。

若駒の名はコンゴウダイオー。以後、前評判との落差から、ニヤリとしながら「世界のG1級」の枕詞で語られることになった馬である。初戦で敗れた後も、「山内に大物2歳あり」の幻想は簡単には消せなかった。鞍上の藤田は「すごく走る馬で調教で併せても、すぐ抜け出して、今日のような実戦を想定したケイ コにならない。もっと強いパートナーとやった方が良いかも。素質はとてつもない…」とコメント。併せ馬できるレベルのパートナーがいないことを敗因にあげた。また、私がブログで冗談めかして敗戦を報じると、すぐに反論が寄せられた。「コンゴウダイオーはかなり厳しいペースを前に行って良く残ったという見方もある。… (勝った)エーシンダームスンは世界のGI級、それ以外の3頭も普通にGI級の可能性がある」(負け馬@馬耳東風)と、実はとてつもないレースレベルだったのではと指摘するのである。

コンゴウダイオーが初勝利をあげたのは連闘で臨んだ3戦目、ダート1000メートルだった。だが、次走で函館2歳Sで芝に再びチャレンジするものの、オープンのスピードについていけず8着。力の限界を露呈した。秋からはダートばかり使われるようになり、3歳1月に平場500万円で2勝目をつかんだ。これがデビューから11戦目。海外G1を嘱望されたはずの天才は、いつしか走り続ける勤労者になっていた。大きなイメージチェンジだ。この頃、本気でG1を勝てる器だと口にするものは消え失せ、むしろ、コンゴウダイオーは大ぼらラッパを揶揄するネタ馬的存在へと変わってしまっていた。二桁大敗を繰り返すと、「世界のG1級」と笑われながら指をさされた。それでも最終レースを駆ける姿は、デビュー戦と同じく、まじめで一生懸命な走りだった。 G1も1000万下もない。ただ目の前にあるレースに挑むしかなかった。

古馬になった今年。主戦も角田に替わり心機一転、コンゴウダイオーは調子を取り戻しつつあった。 2月から3着、2着、3着、2着と惜しいレースが続いていた。天皇賞春が行われた今月4日、最終レースに出走したコンゴウダイオーはひさしぶりの1番人気に推された。私も3連単の頭に据えた。しかし、結果は惨敗。よほど悔しかったのだろう、翌週、連闘で最終レースに挑んだ。再び1番人気の支持を集めたコンゴウダイオーが、アクシデントに巻き込まれたのは直線。空馬が馬群を内に押しやって、驚いた1頭が躓いて落馬。その内にいたコンゴウダイオーは煽りを受けて転倒してしまったのだ。予後不良。あまりに突然の別れだった。23戦2勝は何の変哲もない生涯成績だ。だが、私たちは夏に評判馬が現れる度、「世界のG1級じゃないの?」とニヤリとしながらコンゴウダイオーを思い出すのではなかろうか。競馬が記憶のスポーツなら、競走馬たるもの、それも立派な所業ではないか。「世界のG1級」よ、安らかに。

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2008.02.20

縮小する競馬メディア 「馬」休刊が意味するものは?

2月16日(土)午後5時、本社から翌日17日(日)に急遽、社員総会が行われると言われた。当日、何の前触れもなく、『ホースニュース馬』が休刊するという話を聞いた。2月17日を最後に、新聞は発行しないと言う。… いつかは…と覚悟はしていたが、猶予期間もなく、いきなり休刊になるとは思いもしなかった。後から聞いた話では役員以外は誰も知らされていなかったと言う。だから、現場のトラックマンはもちろん、井崎脩五郎先生、丹下日出夫さんも知らなかった。(辻三蔵の辻説法)

これまでも中央競馬ではサイエンスやケイシュウといった専門紙の廃刊は目にしてきたが、井崎脩五郎、阿部幸太郎ら著名評論家を輩出してきた名門「ホースニュース馬」の休刊は、ファンにも驚きをもって迎えられているようだ。専門紙を取り巻く環境は年々きびしくなっており、その要因の一つには在宅のままネットで馬券を買うファンが増えていることがあげられよう。PCの前に座れば、出馬表、オッズ、過去の戦績も無料で得ることができるのだから、前日から専門紙を買い込んで睨めっこする必要もないし、特別レースだけ予想するなら130円のスポーツ紙と組み合わせればよい。従来よりファンに400円を支払わせるハードルは格段に高くなっている。専門紙、受難の時代だ。

一方で、今回の休刊はライフスタイルの変化だけに因るものではなかろう。競馬ブームの際には雨後のタケノコのように生まれた競馬雑誌も、その多くが姿を消してしまい、一般スポーツ誌「Number」で競馬が特集される機会もめっきり減った。つまり、社会では競馬メディアのニーズそのものがなくなってきているのだ。昨年度、JRA売り上げ額は約2兆7600億円で、97年の4兆円をピークに10年連続で減少。売り上げ減少に歯止めがかからない。私が学生の頃はこぞって競馬場へ行ったものだが、昨今ではそんな話は聞かなくなった。新規ファンがいなければ、競馬産業のπも小さくなる。そして、競馬もマイナースポーツに転落する。否、もうしているのかもしれない。

そうしたJRAの危機感は今年度のCMにも現れている。ご存知「CLUB KEIBA」は、ある会社の競馬ファン(大泉洋)が昔は競馬場へ通っていた上司(佐藤浩市)や全く興味のない若手(小池徹平)、派遣社員の女性(蒼井優)らを巻き込んで、「みんなで競馬!する楽しさ」を体験していくストーリーが描かれている。キャッチコピーには「あたらしい競馬の楽しみ方。2008年JRAからの提案」とあるが、本当は新しくも何ともない。17年前、猫も杓子も馬券を買い、競馬場へ押し寄せたあの時代の楽しみ方を丁寧に教えてくれようとしているのだ。新規顧客の開拓一本に絞ったキャンペーンに他ならない。

もちろん、これまでもJRAはビギナー獲得に努力を払ってきたが、今年度は腰の入れようが違う。21年続いた「スーパー競馬」を打ち切って、初心者向け番組の色彩を濃くした「みんなのケイバ」をスタートさせたのは象徴的だ。この番組はまさに「CLUB KEIBA」のコンセプトを反映したもので、川合俊一、ほしのあき、井崎脩五郎、細江純子が見本になってワイワイと競馬を楽む姿を視聴者に披露している。そこには素人受けしない専門家が出てくる余地はなく、実況席で井崎脩五郎が解説を兼ねるのも理にかなっている。競馬に詳しい役回りは1人で充分で、吉田均らの話など「CLUB KEIBA」には無用の長物というわけだ。

「みんなのケイバ」には「もう、バラエティー路線は勘弁してくれ!」(ゲンダイ)という批判も強いと報道されているが、 JRAは既存のファンはグリーンチャンネルへどうぞという方針なのだろう。戦略としては筋は通っている。今回、競馬産業の円が小さくなったことで、最も外周にいた専門紙が休刊に追い込まれたとすれば、その意味は無視できるものではない。「CLUB KEIBA」キャンペーンが成功を収めるかどうかは別にして、競馬産業に活力を再注入するという目的では、コアなファンが多少の不自由を強いられるのも我慢すべきかもしれない。地方競馬だけを斜陽と呼ぶ時代は過ぎたのだろうか。

暗い話になってしまったが、競馬メディアはなくなる一方ではない。ネット系の充実ぶりもさることながら、厳しい環境の中で新たな志を持って立ち上げられた紙媒体もある。先月、拙ブログでも紹介したが、月刊のタブロイド誌「レーシングポスト」は第3号も読み応えのある内容が詰まっている。JRA賞の担当記者による投票理由を特集した「わたしの理由」と題された記事など、従来から投票理由を付記させろと主張してきた私は手を叩きたくなるものだった。競馬産業の縮小スパイラルを止めるのは簡単ではないと思われるが、専門紙などの再編は質の高いメディアを立ち上げるチャンスになるかもしれない。悲観的になるばかりでなく、良い方向に転がることを期待しよう。

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2008.01.23

「福島に行け」発言は嘘? 相次ぐ火消し記事のKY感

騎手が引き揚げてくる検量室は殺気立っていた。 …怒りをぶちまけたのはコスモバルクに前を2度横切られ3着だったカンパニーの福永。「コスモバルクは毎回、毎回やっている。五十嵐さんはG1に乗る騎手じゃない。(ローカルの)福島にでも行っていればいい。勘弁してくれ」とまくし立てた。(時事通信)

昨秋、天皇賞のレース後、興奮冷めやらぬ検量室で発せられたとされる福永の怒りのコメント。各紙で五十嵐を批難する福永の様子は報じられたが、「福島にでも行っていればいい」との文言を伝えたのは時事通信一社だった。この「福島発言」はネット界隈で話題になり、拙ブログでも「ローカル開催を見下す発言を公にしてしまうのはプロ失格ではないか」と指摘した。一方で、「あの程度の発言はみんなでギャーギャー言い合うようなものではない」(みんなの予想を超えて)、「アグレッシブな姿勢はどんどん出していくべきだ、福永よく言った」(傍観罪で終身刑)といった意見も強く、結局、「レース直後で興奮しているのはもちろんわかるし、発言の真偽は定かではないけれど、それでも人をあまり貶めるものではない」(血統の森+はてな)と妥当な落としどころで議論は終息へと向かっていった。

ところが、すっかり忘れ去られた時分、競馬マスコミから相次いで福島発言は”なかった”とする記事がリリースされた。競馬ブックでは編集局員の村上和巳氏が、サラブレではライターの平松さとし氏が、それぞれ福永自身が否定したことを根拠にして福島発言は存在しなかったと記事にしている。

この時は福永騎手が「あんな乗り方しかできへんなら福島へ行け」と発言したとされていますが、本人は「そんな事は言っていません」と名言していました。(サラブレ 2008/2) ※誤字も原文ママ

冷静な彼らしくない発言だと真偽のほどをたしかめたところ、「そんな失礼な言葉を口にするはずがない」と毅然として私を見据えた同騎手。期待通りの返答に納得しつつも、「(そんな記事を書くことも含めて)それがマスコミだから仕方ない」と続ける諦観を漂わせた言葉が応えた。競馬の本質を追究するよりも誇張や捏造によってスキャンダラスな記事を書いて読者心理を煽る記者が少なくない。競馬マスコミも“どげんかせんといかん”対象のひとつなのが残念である。(村上和巳の編集員通信「“言葉の難しさ”」)

とりわけ、村上氏は時事通信という名前こそ出していないものの、「捏造」「誇張」「スキャンダラス」な記事で読者を煽ったと強い調子で批判しており、福島発言の否定に躍起になっていることが伺える。もし、捏造によってつくられた記事なら、福永は完全な被害者であり、踊らされたブロガーは徒労だったと言うことになる。ところが、村上氏の記事は福島発言を批判したファンに反省を促すどころか、福永を擁護した人々さえ落胆させる結果になってしまった。「『ちょっと言い過ぎた、ごめん』ということならば誰もが納得したと思いますけど、『発言していない』というのはねぇ…」(座布団が行司にクリーンヒット)、「する『はずがない』で納得した上に変な行間まで読んでは『残念」』の一言に落としこむその安易さが、日本の癒着型競馬ジャーナリズムの底の浅さを象徴してる」(はてブ id:Southend)と手厳しい意見もある。

もはや、発言の是非について誰も話題にしていないなかで、本人が否定してることだけを頼りに「記事は捏造」とする論拠の薄弱さが、「秋天の話を蒸し返した割には単なる提灯記事レベル」(血統の森+はてな)と、ファンをがっかりさせたのかもしれない。また、過去に競馬ブックはレース短評が武豊の怒りを買った際、すぐさま訂正記事を出したことや、一部の記者が騎手のエージェントを大々的に手がけていることに、「厩舎人の批判が利権を守る為に出来なくなるということも考えると、絶対に良くない」(昨日の風はどんなのだっけ?)など、記事の中立性、独立性を疑問視する声もあった。今回の記事が受け入れられなかった背景には、こうした懸念が存在し続けていたこともあるように思える。

現実には競馬マスコミが関係者を批判することは極めて難しく、気を遣いすぎるほど遣わなくては取材ができない状況は理解できる。それ故、競馬マスコミでない時事通信だけが「福島へ行け」といった文言を削らなかったと推測できるし、現場では時事通信の記者がKYということになるのだろう。しかし、ここぞとばかり、発言を否定せざるを得ない福永に直撃して、「毅然として私を見据えた」など白々しい形容をしてしまうのは、かえって本人を貶めることにならないか。「福島にも競馬場があって、たくさんのファンがいます。福島の競馬ファンを冒とくするような失礼な言葉を口にするはずがない」(編集員通信)という福永の言葉はファンに響く。もっと心地よく福永を応援する気分になる記事にもできたはずだ。

それほど福島発言を否定したいなら、方法は簡単だ。レース後、囲み取材をした記者に確認をするか、レコーダーを回しているなら公開すればよい。競馬ブックの記者もいたのかもしれないが、その情報さえ書かれていないことが信憑性を弱めてしまっている。私は市井のファンに過ぎないが、知人のツテを頼って、検量室前の囲み取材に加わっていた記者とコンタクトを取ることができた。彼は時事通信とも競馬ブックとも関係がない。彼は私の疑問に対して、「福島へ云々の発言は確かに耳にした」と断言し、わざわざ当時の取材メモも確認してくれた。そこには「福島へ行け」ではなく「福島で乗っといてほしい」と記されていたそうだ。私自身、福永ファンとして、些細な騒ぎを蒸し返すことに心が痛む。ただ切に競馬マスコミに願うのは、関係者への配慮は大切だが、そのために間違った事実へファンをミスリードするような一線まで踏み越えてほしくないということだけだ。

※競馬ブックにはメールを送付しましたが、2週間以上待ってもご返信いただけなかったので、当該記事に記されたこと以外の論拠はないと判断した上で、今回のエントリーをさせていただきました。村上氏の編集員通信や著書は楽しく拝読させていただいております。村上氏を個人攻撃する意図は毛頭ありません。もし、ご本人の目に拙エントリーがとまり、ご不快に感じられる箇所がありましたら深くお詫び申し上げると同時に、一競馬ファンの妄言とご容赦いただければ幸いです。

※今回、快く情報をいただいた記者の方には名前を出しても良いとお許しを得ましたが、たかがファンのブログ記事でご迷惑をおかけする結果になっては申し訳ないこと、福島発言の存在是非そのものがテーマでないことから、匿名にさせていただきました。

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2008.01.12

作家・月本裕氏死去 志を”レーシングポスト”誌に遺して

9日、作家の月本裕氏が脳出血のため47歳で亡くなった。月本氏は雑誌編集者を経て作家として活躍。「賭ける魂―闇に消えた20世紀最大のギャンブラーを追って」「挑戦―サクラローレル物語」「サラブレッド101頭の死に方」など、数々の競馬関係の著作でも知られている。すでに2000年からホームページ「月本裕ウェブサイト」を開設してネットで活動を始め、現在はブログ「ツキモトユタカ ノ マイニチ」で社会・時事問題や競馬に対する自身の考えを積極的に発信していた。もちろん、市井のファンにすぎない私は直接、月本氏を存じ上げないが、著作からは競馬を深く愛し、競馬を憂え、競馬メディアのあり方も真摯に考えておられるように見受けられた。大勢に流されることなく、然るべきジャーナリズムの方向性を求めていたように感じる。

大川慶次郎氏らとの共著「サラブレッド101頭の死に方」では、月本氏は1990年代の名馬を担当している。ライスシャワー、ハシルショウグン、ロイスアンドロイスら、どの話も競走馬の魅力や切なさが良く伝わってくるが、私が好きなのはサンエイサンキューの話だ。函館3歳Sから見守ってきた月本氏は、酷使の末に故障、緊急手術で一命を取り留めるも、苦しみぬいて亡くなったサンキューの一生と向かい合う。そして、「人間がどんなに傲慢に自然と立ち向かったとしても、できないことはできないのである。そのできないことを起きないようにするのが、真のプロというものだと思う」と行き着く。「私を含めたマスコミの人間、そしてオーナーサイドに、プロとしてどこか欠けたところがあったのではないか」と内省するのだ。

3年前、月本氏のブログで、私のエントリーを褒めていただいたことがあった。ハルウララが調教師の意に反して関東へと運び去られた時のことだ。事情に暗い一般マスコミが高知競馬バッシングを始めるなか、私はいてもたってもいられない気持ちになり、連日、資料を探してきてはハルウララに関する記事を書き続けた。一ブロガーがマスコミの情報に逆らう間には、批判を受けて弱気になったこともある。だから、プロである月本氏の拙ブログへの言及には非常に勇気づけてもらった。

ハルウララについてはもうぼくは書くことなどないし考えたくもないんだけど、そうも言っていられないのが一見客観的なマスコミ報道の甘さ。 …少しでも馬主側に理があるようなことを報道しているメディアは本気で取材してちゃんと報道して欲しい。 …とりわけ読んで欲しいのは馬耳東風競馬データ予想の管理人さんのブログだ。…情報なども過不足なく、実に 参考になる。すべてのマスコミの方々は、このブログを熟読してからハルウララ問題を語るべき。もちろん立場 はいろいろあろうし考えもいろいろあると思います。でもその前に基礎知識としてこのブログは必読。特に競馬 をあまり知らないマスコミ関係者はぜひ読まれたし。(ハルウララに関して、基本の諸問題をちゃんと押さえてから語ろう)

私は10年以上、ウェブで競馬について駄文を書き連ねているが、ネットで活動する競馬マスコミの方にコメントをいただいたことはほとんどない。無論、箸にも棒にもかからない文章だというのが大きな理由だと思うが、一般的に「匿名掲示板と変わらない無責任な発言」といったブロガーへの見方も少なくないのかなと感じることがある。先見の明を持って早くからネットを使っていた月本氏だからこそ、「実名匿名ハンドル名の方々がネットに参考になる意見を展開されている」とフェアな視線をもって、拙ブログを取り上げていただけたのではないかと思う。

去年末、月本氏は「レーシングポスト」というタブロイド版の競馬月刊誌の編集長に就任したばかりだった。既存の競馬メディアにはない試みを実現されようとしていたと聞く。 10日、出たばかりの第2号を読んだが、JRAや地方競馬、馬インフルエンザ問題など、歯に衣着せぬジャーナリスティックな記事が掲載されているとともに、豊富なデータを用いてクラシックを展望するなど、コアなファンが満足できる紙面づくりがなされている。ぜひ残されたライター陣が「本当に日本の競馬は面白いのだ、ということの本質をこれでもか、とわかりやすくしかも妥協しないでお届けする」という月本氏の志を継いで、レーシングポストを育ててもらえたらと願う。同誌はローソンのみで販売されているが、私はしばらく買い続けようと思っている。

馬はファンのものである、競馬は馬券を買うファンあってのものである、という考え方にも、私は全面的に賛成することはできないのだ。…競馬という世界全体に、もしもオピニオンを作り上げようとするのならオーナー対ファン、などという考え方をしていても無意味なのだ。そこにジャーナリズムの必要性が出てくる。ところが、日本ではそこのところがひどく、弱い。物書きの端くれである私自身も、忸怩たる思いがこみあげてくる。(サラブレッド101頭の死に方/ 月本裕)

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2007.11.13

オレが福島へ行くよ! LIVEで観た裏開催のドラマ

先般、ちょっとした話題になった「福島へ行け!」発言。だが、福永の怒髪天を突く勢いにも関わらず、終ぞ五十嵐が福島に出向いたという話は聞かない。そう言えば、我が身を振り返っても、秋の福島に行ったことはなかった。夏の表開催はいざ知らず、この時期にわざわざ東京から赴くファンは素っ頓狂だろうか。しかし、裏開催を知らずしてローカル競馬を語るなかれ。福永さん、オレが福島に行くよ! ということで、この不肖モノが五十嵐の代わりとして、秋の福島競馬にどっぷりと浸かって進ぜよう。 時は先週の土曜日(10日)。 1レースに間に合わせるため、早朝の新幹線に乗ってみちのく路へ旅立った。この日は福島記念が組まれているとあって、市内のビジネスホテルはどこも満室。競馬場に向かうローカルバスも埼京線状態で、「FEEL LIVE 福島!」という熱気が感じられたぞ。とにもかくにも、 9時半ころ到着し、ゴール前のA指定席を1500円でゲット。ここを根城にして、福島全レース勝負を敢行することにした。

まずは1レースとなるわけだが、実は愛馬シルクパナシアが出走しており、予想も何もない。盲目的にがんがれ馬券を購入。6着に散って、一番の目的は終了(えー)。以降は冷静にレースを観ていくことにした。福島は修行の場というだけあって、中央場所では乗り鞍の少ないジョッキーが挙って押し寄せている。リーディング表を上から見ていくと、全国トップテンに入っていたのは、ミスターローカル、9位の中舘だけ。修行中の若手では田中博、中村将、石橋脩、津村、的場勇あたりがブイブイ言わせており、そこに佐藤哲、上村、太宰、安藤光らベテラン勢がピリリとした味付けをしている馬柱が並ぶ。じっくり眺めると、なかなかオツな東西の面々ではないか。但し、重賞が施行される日とあって、15位・池添、19位・藤岡佑、23位・吉田豊ら上位騎手の名もあった。ちょっとしたゴールデンデーなのかもしれない。

秋の福島はけっこう美しい ここは中館先生の絶対王政

2レースの新馬戦は4番人気、梶のコスモグラマラスが勝利。若手のはこれが2勝目だそうが、そんなに勝っていない騎手なんて買いづらいよなぁ。しかも新馬で。3レースはダート千七の500万下。人気サイドから三連複で勝負したものの、3着に人気薄の川島信の馬がぶっ飛んできて波乱に。「当たんね。もう福島なんて来ねーYO」と帰り支度を始めようと思った時、長い審議が始まった。そして、まさかの川島降着。初馬券ゲッツですよ。パトロールフィルムを観ると、内を進んだ川島は直線で前が壁になったため、隙間とも言えない隙間に突進して、他馬を外に弾き飛ばしている。はっきり言って五十嵐のコスモバルクなんか比ではない。道は自ら切り拓く。斜行ってのは勝ちに行くための情熱が溢れ出たもんなんだ、ヘタレの騎乗ミスと一緒にするなという、福永への熱いアピールに違いない。これぞ福島クオリティだ。

4レースはダート二四の長距離戦。人気は的場勇のヒシポラリス。内枠を利してスローに落とし込み、余裕の勝利を飾るのだろう。という、私の安易な予想は甘すぎた。レースは佐藤聖らが激しいハナ争いに絡むハイペース。すっかりヒシポラリスもバテて圏外、差してきた田中克が9馬身差の圧勝ですよ! これって、厳しい展開っつーか、おまえら馬を御しきれてないだけだろ。そこで中舘先生ですよ。5レースのスプリント戦。先生がハナを切ると、ピタリと流れが落ち着く。中館-池添で決まり、まるで中央場所を見るような安心できるレースへ大変身。6レースも吉田豊-池添の人気サイド。やっぱリーディング上位のジョッキーが走らせると違うわ。そんな私の感心に待ったをかけたのが、ベテラン・芹沢。 7レース、前2走とも二桁大敗の馬を先行策で1着に導く妙技。人気でぶっ飛んだ吉田豊の同枠ということで、ひさびさに枠連を買っていた私の懐も厚くしてくれた。代用サイコー。

パドックの応援幕もしぶい 誰だか分かりますか?

勢いに乗りたい8レース。私は6番人気、石橋脩の単複で勝負。人気のない若手の先行馬は買いなのです。佐藤哲の後塵は拝したものの、思い切り良い競馬で2着に粘ってくれた。いや、そろそろ福島に慣れてきたぞ。9レースは池添が人気サイドで1着。 10レースは鉄板っぽい中舘を村田が押さえ込んだ。上位ジョキーの安定性を信じるか、若手の思い切った騎乗を買ってみるか、ベテランの燻し銀に期待するか。それに馬の実力や展開を加味して、答えを出していくのが福島競馬の予想の醍醐味なのか。そして、福島記念。悩んだ末、藤岡佑タマモサポートを本命に。しかし、やっぱり福島の重賞には福島を代表する騎手が勝つもの。道中は内で折り合わせ、絶妙な位置取りから抜けた中館アルコセニョーラが優勝。2着にはベテランの太宰、 3着に騎乗停止を受けた川島信が意地を見せて、3連単60万円を超える大波乱となった。

正直、これまで秋の福島開催を一日通して観た記憶はなく、レベルの低い馬と騎手が集まって、G1の裏でコソっとやってる暗いイメージを抱いていた。客観的に見れば、そうしたステレオタイプな見方も間違ってはいないのだろう。だが、その裏開催で様々なドラマが繰り広げられ、発展途上の若手、騎乗依頼の減ったロートル、晴れ舞台より勝ち星を選んだジョッキーがキラリと光るレースをしていることに、きちんと注目したことはなかった。最終レース、武英-勝浦の人気馬がワンツーするなか、津村が必死の追い上げで 3着に食い込む様子を目にしながら、そんな反省が頭を過ぎった。例の発言がなかったら、今回の旅路もなかったかもしれない。だから、福永に感謝。そして、裏開催をFEEL LIVEしたことのないファンに叫ぼう。「福島に行け!」と。

快適なA指定席 G1はなくてもG1焼きはある!

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2007.09.27

シンコウフォレスト安楽死 割り切れぬ感情こそ大切に

1998年の高松宮記念などスプリント重賞3勝をあげたシンコウフォレスト(牡14)が、7月にアイルランドで安楽死処分されていたことが判明した。これはブログ「あさ◎コラム」さんが繋養先のラスバリースタッドに問い合わせて明らかになったもの。シンコウフォレストは今シーズンはじめに8頭に種付けしたものの受胎せず、完全に繁殖能力が喪失したことが確認されたため、シンジケートが解散、殺処分となったという。グリーンデザート産駒であるシンコウフォレストは引退後、種牡馬として故郷のアイルランドに輸出され、シャンペンS(英G2)やグロシェーヌ賞(仏G2)などの重賞勝ち馬を輩出して順風満帆な繁殖生活を送っているとみられていた。繁殖能力がなくなったとはいえ、種牡馬として一定の功績を残し、日常生活に支障のない同馬があっさりと処分されたことに戸惑いを感じるファンがいることは確かだろう。かくいう私もそのひとりだ。

一方で競走馬の多くが屠殺されている日本の現状を考えれば、ヨーロッパでも同じことが起きているだけなのだという冷静な感情も沸いている。ラスバリースタッドは「人道上の理由から苦痛を与えずに殺害」したと回答を寄せている。これは日本のように名前を伏せたまま業者に引き取ってもらい、劣悪な環境下で肥育された上で食肉に加工するといった処分方法は採られていないと明言したものだろう。想像の域を出ないが、シンコウフォレストの遺体の一部は何処かに埋葬されたのではないだろうか。 2003年、日本で種牡馬を廃業したケンタッキーダービー馬、ファーディナンドが屠殺されていたことがアメリカで報じられ、日本が非難される事件が起きた。結局、ファーディナンドがどのような過程を経て処分されたのかは発表されたなかったものの、 JRAが他のチャンピオンホースの行方を調査するなど大きな波紋を広げることになった。

ファーディナンド事件以降、廃用となった輸入種牡馬が故郷・アメリカへ再輸出されるケースが増えている。功労馬を繋養する養老牧場が受け入れ先だ。日本でも一部のファンや生産者が養老牧場を運営しているが、年間数千頭が生産されている規模に比べれば、システムとして機能するようなものにはなっていない。国内では競馬産業のイメージを守るためか、引退馬の処分問題がメディアに取り上げられることは少ない。そのため、苦痛を最小限度にした処分方法が採られているかといった議論まで、とても踏み込めていない。そうした意味においては、ラスバリースタッドのように自らの管理下において適切な方法で処分したと公言できるならば、食肉業者にすべてを委ねてしまう日本式よりは責任ある行動を取っているとも言えよう。もちろん、経済動物の名のもとに、サラブレッドが大量処分される競馬産業の論理を認める人々の間のことではあるが。

以前、ナイスネイチャの生産者、渡辺はるみさんの著書を紹介したことがあった。渡辺さんは引退した生産馬を引き取り、どうしても手放さなくてはならなくなると、なるべく苦しまない方法で自らの目の前で処分するようにしていた。 G1ホースであれ、未勝利馬であれ、ひとつの命を絶つことは決して軽々しいことではない。今回、シンコウフォレストの件も納得すべきものだという思考が支配的になると同時に、どこか割り切れない感情が残ったのも正直なところ。実は大切なものは割り切れない部分に宿っている気がした。処分は競馬を続ける上での運命と、突き放すだけが最善ではないだろう。一例だが、重賞賞金の一部は余生のために支払うようにするとか、種牡馬シンジケートの数パーセントは解散後のためにプールしておくとか、多額の利益を生んだ馬が余生を過ごせる施策が採られても良いのではないか。すべて白日の下に晒す必要はないが、大切なことが議論されないのなら、それは人にとっても馬にとっても不幸なことだ。

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2007.09.25

アラブ生産馬ゼロ 血は途絶えても歴史に名を留めん

日高軽種馬農協の軽種馬当歳馬名簿で、今年、生まれたアングロアラブが初めてゼロとなっていたことが明らかになった。この名簿は生産者から届け出をもとに製作されるもので、同農協には軽種馬生産者のほとんどが加盟している。かつて、年間4000頭近くも生産されていたアラブだったが、1995年にJRAがアラブ系の競走を廃止した頃から急撃に生産が縮小し、去年、同農協が主催した北海道オータムセールでは上場馬がわずか2頭に留まっていた。中央のみならず、地方でも五月雨式にアラブ系競走は廃止の一途を辿っており、生産頭数の減少を鑑みて、一昨年、アラブだけで開催していた福山競馬もサラブレッド導入に踏み切った。今年6月には福山で行われたタマツバキ記念をもって全国のアラブ交流戦も消滅している。寂しさはあるが、アラブの生産がなくなることは時代の趨勢と言うしかないのだろう。

我々がアラブと呼ぶ品種は、正確には純血アラブとサラブレッドの混血種であるアングロアラブである。アラブと認められるためには、アラブ種の血が25%以上なければならないとされた。もともとアラブは戦前の軍馬改良の一環として、繊細なサラブレッドを温厚で丈夫なものにしようと盛んに生産が行われるようになった。戦後は復興のため地方競馬が各地で開かれるようになり、馬不足のなか、短い間隔で出走を繰り返すことができて管理も比較的容易なアラブが非常に重宝された。しかし、タイムで劣る、メンバーが固定化している、サラブレッドすら余っている、血量を偽ったテンプラが横行しているなど、ネガティブなイメージが喧伝されて、サラブレッドより格下扱いされるようになると、ファンや馬主の人気は衰えていった。70キロの斤量も苦にしないアラブには独特の魅力があるが、そうした楽しみ方が受け入れられなかったのは不幸なことだった。

アラブ競走の全盛期には中央ではタマツバキ、セイユウ、シュンエイ、地方ではイナリトウザイ、ローゼンホーマなど、歴史に名を残す名馬が次々に現れた。戦後まもなく活躍したタマツバキは 83キロの酷量を背負って勝利するなど、そのタフガイぶりは今でも語り継がれている。厳しい斤量と闘う姿は大いにファンの共感を呼んだそうだ。1957年、アラブで無敵を誇ったセイユウはサラブレッドに挑戦。七夕賞、福島記念を連勝すると、セントライト記念に参戦して59キロの最重量をものともせず同世代のライバルたちを打ち破ってしまった。この時の2着馬は菊花賞を制するラプソデーだった。このセントライト記念がアラブによる初のサラ重賞制覇である。菊花賞は制度上、出走できなかったが、もし出ていればアラブのクラシック制覇の偉業を打ち立てていたかもしれない。

私が競馬を始めてからも、アラブ最強馬によるサラブレッド挑戦はファンの心を躍らす一大イベントだった。南関東アラブ三冠馬・トチノミネフジの中央参戦は記憶にある人々も多いのではないだろうか。1994年、6歳(旧表記5歳)時に隅田川賞で大井二冠ブルーファミリーを破って13連勝を飾ったトチノミネフジは、吾妻小富士オープンへ挑んだ。一時は1番人気に支持されるほどの過熱ぶりだったが、芝適性のなさ故か得意の先行力を活かせずに2番人気11着に敗れた。馬群でもがく巨漢馬の姿に、私は胸が熱くなったのを覚えている。中央・森秀行厩舎のムーンリットガールは何度も挑戦を続けた女傑だった。1994年の府中3歳Sでは勝ち馬ホッカイルソーからコンマ4秒差の5着に健闘。翌年のスプリンターズSでも大敗したものの、重賞馬ゴールドマウンテンらに先着した。アラブの血は後世には繋がらないが、長い間、競馬を支えた彼らの活躍は歴史に留めなくてはなるまい。

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2007.08.25

海外にも飛び火? 終息しない馬インフル危機

馬インフルエンザの感染は沈静化しつつあるとして、今週末の開催が決行されることになった中央競馬。 23日、JRAは出馬登録した1321頭の検査を実施したが、そのうち3%にあたる41頭が陽性反応を示したため、この41頭を除外した上で出走馬を確定させた。このなかには新潟記念で人気を集めると見られていたサンレイジャスパーや、キーンランドCに登録していたツルガオハヤテが含まれているようだ。今週の出走馬は出馬投票後の午前11時から午後8時の間に全頭検査を行い、陰性馬だけでレースを開催することになっていた。しかし、東京スポーツ(25日付け)によれば、函館から新潟に出発したラブカーナ、美浦から札幌へ向かったリキアイタイカンワイルドシャウトなどは決められた時間外に検査をパスするなど、現場まで完全にルールが行き渡っていない様子が伺える。レースには先週、出走予定だった馬が回ってきているため、多数の除外馬も出ている。それだけ質の高いメンバーが揃ったとも言え、意外と堅い馬券になるのかもしれない。

この出走予定馬に対する検査とは別に発表される「インフルエンザ発症状況」では、 22日集計分で新たに発熱馬40頭、うち陽性馬9頭が明らかになったという(スポニチ)。栗東では前日より発熱馬は増えていて、JRAの言うように目に見えて沈静化しているとは言い難いようだ。地方競馬では大井で91頭笠松で2頭園田で1頭の感染が確認された。金沢に次ぐ大量感染を出した大井は来月2日からの開催を控えており、全面的な中止か、JRAと同様の出走馬の全頭検査を行った上でレースを行うか、選択を迫られることになる。一方、オーストラリアでも感染が認められたという気になるニュースが入ってきた。世界各地からシャトル種牡馬が到着している検疫施設で、3頭に感染症状が出ている。マクゴーラン農業大臣は感染源について「日本から来た一頭が疑わしい」(北海道新聞)と述べている。同じ施設にいた79頭は隔離されているが、この中にはロックオブジブラルタルなどの一流種牡馬もおり、繁殖期の競馬産業に数百万ドルの損害が出る可能性があると言う。

日本ではJRAが開催を決行したことについて、賛否両輪が巻き起こっている。 JRAの対応に厳しいスタンスを取るスポニチは「競馬当日には陰性馬と陽性馬が入り乱れる可能性すらある」とし、どの馬が感染しているか情報も開示されなければ安心して馬券を買うができず、「とても公正競馬とはいえない」と指弾している。「『沈静するまで様子を見て、秋から再開すればいい』という厩舎関係者の声が少数意見ではない」とも付記する。一方、ホースニュース馬の辻三蔵記者は、こうした日刊紙の報道に強く反論している。「日刊紙には匿名関係者が話す無責任な記事ばかり」とし、自身が取材した「奥平、古賀慎、小島茂師は有事でも最善を尽くして、管理馬を出走させている」と主張する。水上学氏なども「都合のいい時だけファンの味方になるのは噴飯もの。普段は何の問題意識も持たないくせに」と感情を露にして日刊紙批判を繰り広げている。どちらが正しいとは私には判断しかねるが、厩舎関係者もマスコミも各々、スタンス、意見が入り乱れているのが実態ではないか。

須田鷹雄氏はnetkeibaのメルマガで「競馬は一体誰のもの? ファンを置き去りにしたJRAの対応」と題したコラムを寄稿。二重の検査を行うことで「不安に思わず馬券を買っていい競走」は実現できるとしながらも、 JRAは積極的に情報を発信してファンの理解を得ようという試みをしなかったと指摘している。だから、一部の「煽りまがい」の報道で「インフルエンザ本体とは別次元のリスク」、言い換えれば「ファンの不興」を買ったとする。この点、私も須田氏の論に賛同するが、 JRAが金科玉条にする「公正競馬」は陽性馬を除外することだけで担保されるわけではなく、ファンの信頼を得られた上で馬券を発売することが必要条件であることは銘記しておきたい。そのためには感染馬の情報開示は行うべきだ。普段の競馬でも故障や状態など正しい情報は伝えられていないから、今回も感染情報の開示は必要ないとの考え方があるとすれば、それこそ最善の状態で出走させようとしている関係者にも失礼だろう。非常事態であれば、気を遣いすぎるくらい公正性を慎重に扱ったほうが良い。

今後、開催を続けるに当たって焦点になるのは、牧場や育成施設からの帰厩をいつ、どのような事実をもって認めるかということになる。完全な隔離が不可能なトレセンに帰ってくれば少なくない馬が新たに感染するだろうし、トレセン外にいる馬にも感染が既に広がっているなら事態は長期化する。今週末の開催決行で口角泡を飛ばしているマスコミもファンも、願うところは一日も早く競馬が通常通りに開催されることだ。一部マスコミの過剰なJRA批判も、それに対する反駁も、次のステップへ移る時期だろう。中央だけでなく、地方、海外を巻き込みつつある危機をいかにソフトランディングさせるか。そのための方法論を議論しているのだという理解を忘れずにおきたい。厩舎関係者やJRA職員は奮闘をされていると思う。組織の一員として現場の人間が開催をめざす努力をするのは当然のことだ。それが故にも、監督官庁やJRAトップは大局的な見地から、感染防止の措置や開催是非の判断を行ってほしい。

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2007.08.22

金沢でも117頭に陽性反応 開催強行の愚は避けよ

恐れていたことが現実のものになってきた。18日に3頭から馬インフルエンザの陽性反応が確認されて 19、20日の開催を見送った金沢競馬。 21日に在厩馬549頭に対して検査を行ったところ、2割強にあたる117頭から陽性反応が出たことが明らかになった。金沢競馬では22日に来週からの開催の是非について会議を開く。当初、金沢では8月以降にJRAから転入した13頭を検査し、そのうち1頭がインフルエンザであることを突き止めた。この1頭が感染源かどうかは分からないが、1頭から在厩馬全体に広がったのなら感染力の強さには驚くばかりだし、そうでないのならば先月以前の転入馬が感染していた可能性もあり、未だに解明されていない感染ルートに不気味さを覚える。

18日当日に開催中止を決定した大井競馬では、JRAが検査キットを独占しているため5セットを手に入れるのが精一杯だったことが報じられている。金沢でも10セット程度しかなかったが、発注して全頭検査に必要な数量を確保したそうだ。これまで発熱があったとしても、インフルエンザの検査を行うことはなかったということだ。金沢の例を鑑みれば、全頭検査を行わない限り、どの競馬場でも多数の保菌馬がいるのではないかという疑念が頭をもたげてくる。だが、時間差で波状的に感染が広がっているなら、大掛かりな全頭検査も一度では完全なシロ判定を下すことはできない。キットが不足しているなら、なおさら主催者は頭が痛いところだろう。

JRAでは今週末の開催に向けて、出走希望馬2000頭を月、火曜にかけて検査した。レースを成立させるだけの頭数が陰性だと確認されれば、開催を強行することも可能だと見込んでいるためだ。インフルエンザの潜伏期間は3日間。このため調教師会では開催する場合、木曜に再度、出走馬の全頭検査を行うよう求めている。そうすれば木曜の検査後に感染した馬でもレース当日は発症する可能性が低いため、競走能力に影響を及ぼすことはない。「インフルエンザに感染していた影響で負けた。不公正なレースだ!」というファンからの批判に反論できるというスタンスだ。JRAからは再検査実施には同意を得られていないものの、検査が受けられなければ調教師会は管理馬を出走させない方針を取っている。 JRAよりも調教師会のほうが再開には慎重な姿勢だ。

一方、調教師のなかでも、美浦の和田正道師は日刊スポーツの取材に対して、陽性反応があっても発症がなければ100%の力を発揮できるとした上で、保菌馬であっても健康に問題がなければ出走させることを認めて早期に競馬を再開すべきとしている。目の前で管理馬の元気な様子を見ていれば「(JRAは)きっちりファンに説明しないといけない」と苛立つのは当然だし、理論的には和田師の主張していることは間違っていないと思う。しかし、「公正競馬」はJRAの金科玉条。それを支えているのは一般大衆からの「信用」である。「陽性だが影響はない」と言っても、この疑心暗鬼の状況では聞き入れられまい。競馬はアマチュアの競技会ではなく、金の賭かるギャンブルなのだ。不信を持たれた賭場はやっていけない。

また、北海道・日高で7頭、滋賀・甲賀市の牧場で3頭の現役馬が感染していることが分かった。今後、検査キットが十分に流通するようなら、放牧中の感染馬の数も増えてくるかもしれない。現在、JRAは放牧されている馬の帰厩を認めていないが、在厩馬だけで開催をしていくことは困難で、帰厩を認めなければ程なく開催の継続は行き詰るだろう。レース再開は放牧先の馬の状況を見極めてからにすべきではないか。人の靴や車のタイヤに付いた泥などが媒介となって感染することもあるというインフルエンザ。トレセンから入れ替わりに退厩した馬が、馬産地にウィルスを撒き散らすことになれば目も当てられない。そうなれば、さらに再開は遅れるし、秋シーズンが全て台無しになることも考えられる。

先週、JRAは開催続行の方針を一夜にして覆す失態を演じてしまった。 JRAに同情しない部分がないわけではないが、同じことを繰り返せばファンの信頼をまた失うことになりかねない。今週、JRAがどのような判断を下すかは分からないが、やるかもしれないと期待させておいて結局やらない、そうした繰り返しだけは避けるべきだと思う。狼少年になるよりは、放牧先との馬の往来が可能になる目処までなど、一定期間、休止を宣言したほうが良いのではないか。例え今週の開催が強行されたにしろ、やるかどうか分からないレースに向けて調教された馬を揃えて、ファンから信頼は勝ち得るだろうか。感染ルートも解明されず、被害が全国に広がっていくなか、取るべき施策は目の前のニンジンに喰らいつくことではないはずだ。

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2007.08.01

悲劇の先駆者・道川満彦 自由を求めた不屈の生涯

今でこそ海外に出かけ、現地の競馬に騎乗することも当たり前になったが、 18年前、マレーシア、シンガポール、ドバイなど世界を股にかけて、アジアにその名を轟かせたジョッキーがいたのをご存知だろうか。 5年前に廃止された益田競馬場出身の道川満彦。道なき道をたった一人で切り開いていった国際派騎手のパイオニアである。益田でトップジョッキーの地位を築きながら、さらに大きな舞台に立ちたいと海外へ活躍の場を求め、自ら現地へ赴いて売り込みを図った。しかし、古き地方競馬界は若手騎手の「我がまま」を認めようとはしなかった。道川に海外移籍に必要だったクリアランス(無制裁証明書)が発行されるまで、実に7年もの歳月を要すことになった。それでも、決してあきらめようとしなかった道川の精神力には驚くばかりだ。道川は今年5月31日、白血病のため53歳でひっそりと息を引き取った。地方出身の岩田が中央リーディングを走り、国際化の荒波に揺れる今の日本競馬界に道川は何を思っていたのだろうか。

道川が島根県益田市で生を受けたのは1954年。第五福竜丸がビキニ環礁で死の灰を浴び、洞爺丸が一千人以上の乗客とともに転覆した年である。親戚が地方競馬の関係者でありながら、少年だった道川がめざしたのは中央の騎手だった。だが、14歳で馬事公苑長期過程の受験に失敗。その後、京都・加藤清一厩舎に入門したものの、やはり騎手過程に不合格となった。この時の同期生には河内洋がいた。故郷に呼び戻された道川は、20歳で益田競馬・高橋勇厩舎よりデビューを果たす。世間はハイセイコーブームの真っ只中だった。道川が才覚を現すのに時間はかからなかった。3年目には74勝をあげてリーディング争いに加わると、以後は益田を代表するジョッキーとして知られるようになった。しかし、年収300万円ほどの生活、日本一小さな競馬場のレベルに道川は満足できなかった。かたや、京都競馬場で轡を並べた河内は、アグネスレディーやカツラノハイセコをお手馬にして新聞紙上を賑わしていた。

オールカマーさえ地方馬に門戸が開かれていない時代。中央への移籍は到底、無理だと感じていた道川が目を向けたのは海外だった。 1981年、活路を求めて香港・ハッピーバレーを訪問する。日本の調教師が発行するクリアランスがあれば受け入れると言質を得たものの、益田で道川を応援しようという調教師は現れなかった。道川の行動は自己中心的な我がままだと、閉鎖的な厩舎社会は厳しく断罪したのである。それでも道川は香港やシンガポールに出かけて騎乗への道を探った。その執念に調騎会が折れたのは7年後。「他の地方競馬に移籍しない」ことを条件にして、ようやくクリアランスが発行された。そして、何度も繰り返し手紙を送ったマレーシアのK・L・チョン師から、専属騎手として受け入れるとの返事がきたのである。思う念力、岩をも通す。1989年、34歳にして道川は海外での活躍の場を勝ちとった。

マレーシア、シンガポールの競馬は欧州式だった。前半はスローで淡々と流れ、ペースのあがる後半で勝負が決まっていた。ここに道川は益田の競馬を持ち込んだ。抜群のロケットスタートでハナを奪うと、後続を寄せ付けずにあれよ、あれよという間に逃げ切ってしまうのだ。発馬の鮮やかさは「カミカゼスタート」と評された。移籍してわずか一ヶ月でテン・ゴールドCを勝って重賞初制覇を飾ると、その勢いは衰えず、年間54勝をあげてリーディングトップの座を射止めてしまった。道川の登場はジョッキーたちの騎乗スタイルを変えるほど衝撃的なのものだった。シンガポール外遊中の竹下登首相から激励を受け、現地ではCMに出演するなど、文字通りスタージョッキーへと伸し上がった。翌年もリーディング争いを続け、何もかもが上手く運んでいるように見えた道川。だが、絶頂期は長く続かなかった。突然の災難は日本国内で起こった。

1990年9月26日付けの東京スポーツは、一面の見出しで「発覚 八百長 競馬疑惑」と大々的に報じた。八百長の三文字だけが大きなフォントで、スタンドに折りたたまれれば「八百長 日本人騎手 海外で汚点」としか読めなかった。紙面には「地元○暴と黒い噂 国外追放へ」「目立つクサいレース」「日本復帰絶望」と、道川を犯罪者扱いする文字が躍っていた。シンガポール競馬場のトップの「ミチカワの身辺に黒いシンジケートの噂がある」というコメントも引用した。しかし、これは全く根も葉もない出鱈目だった。もともとは道川と些細なことで不仲になった日本人馬主が、悪口を現地で触れて回ったことにあった。このなかに八百長を持ちかけられたというものがあり、噂を聞きつけたサム・オカヤという日本人が東スポにネタを売り込んだ。情報提供の見返りとして東スポから支払われたのは8万円だった。オカヤが指摘したのは89年5月7日の第7レース。ところが、黒い疑惑とされたレースで道川は逃げ切り勝ちを収めていた。

八百長をしたと認められることは、騎手生命を絶たれるのと同じことである。急遽、道川は日本に帰って、東スポを名誉毀損で訴えることにした。競馬場トップの発言は捏造だということが明らかにされ、公判中に東スポはシンガポールに謝罪文を送付した。当然、道川の八百長の事実は否定された。1992年9月30日、東京地裁は道川全面勝訴の判決を下し、東スポに350万円の賠償金の支払いと謝罪広告の掲載を命じた。東スポは控訴せず、裁判は結審した。しかし、この事件が道川に与えたショックは計り知れないものがあった。田舎では記事の内容を否定しても誰も信じてくれず、「妻子には辛い思いをさせてしまった」と道川は嘆いた。記事が出てから年末まで4勝しかあげられず、道川はリーディング争いから大きく後退した。以後、活躍の場をマカオ、ニュージーランド、インドまで広げるが、 2度の落馬事故もあって目立った成績をあげることはなかった。血の滲む思いをしてつかんだ地位は一本の捏造記事で切り裂かれた。

1992年から3回、道川は憧れだった中央の門戸を叩く。受験は認められたものの、国語、数学、社会、競馬法規の一次試験で3度とも落とされてしまう。当時のJRAは道川の受け入れはとても容認できる体制ではなかった。安藤勝己の中央移籍はこれから9年後のことである。 1997年、ドバイで日本人初勝利をあげた道川は、アブダビでムハンマド殿下の馬にも騎乗する。この年が道川のラストライドとなった。2005年、51歳にしてフィリピンにライセンス申請したほど、現役へのこだわりは強かった。もし東スポの捏造報道がなかったら、もし道川が10年遅く生まれていたら、競馬の歴史は変わっていたかもしれない。裁判所によって濡れ衣と認められた今でも、道川は八百長の三文字がセットになって語られる。その度にマスコミやファンは、道川の身の潔白と、不撓不屈の精神で海外へと飛び出した業績を声高に伝えなければならない。自由を求め続けた悲劇のジョッキー、道川満彦。語り継ごう、あなたの偉大さを。

※このエントリーは以下の文献を参考にしました。
>>競馬裏事件史 これが真相だ!!
  『"早すぎた天才"が受けた報道被害の一部始終』(宝島社)
>>競馬最強の法則(2007.8)『カミカゼ・ジョッキー 道川満彦』(KKベストセラーズ)
>>道川満彦(Wikipedia)
>>御神本騎手&道川元騎手対談(益田競馬ファンクラブ)

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2007.07.28

大衆競馬とは何か? ダーレー来襲で揺れる日本

アドマイヤムーンのトレード交渉がまとまった。現オーナーの近藤利一氏からシェイク・ムハンマド殿下率いるゴドルフィンが40億円で購入。殿下の傘下にあるダーレー・ジャパン・ファームに譲渡されるのだという(netkeiba)。 18日付けでダーレー・ジャパン・ファームは中央競馬の馬主登録を認可されており、アドマイヤムーンは松田博厩舎のまま、服色だけ変えて秋の天皇賞をめざすことになりそうだ。 JRAは海外に居住する外国人の馬主資格を認めておらず、ダーレー・ジャパン・ファームも日本人が代表者を務める、日本の生産法人という扱いがされている。しかし、本国の機関の意向で買い上げ、日本法人が所有するという形が許されれば、外国人馬主の受け入れと、その方便としての名義貸しを半ば公に認めることになるだろう。すぐさま海外で走らせるのではなく天皇賞参戦にこだわったことが、歴史的なターニングポイントを生み出したことになったやもしれない。

24日、JRA六本木事務所で開かれた記者会見には、近藤氏と生産者のノーザンファーム・吉田勝己代表が出席した。ノーザンファームはデビュー後にアドマイヤムーンの一部の権利を買い戻したとも噂されており、実際、市場取引馬されたことを表すマル市マークは馬柱から消えている。馬産関係者とみられるブログでは新馬戦直後に9000万円で半分の権利を得たと報じるところもあるが、真偽のほどは明らかでない。近藤氏は会見で「応援してくれたファンや日本競馬の売り上げに貢献するため」秋の天皇賞に出走することを譲渡の条件にあげていた。近藤氏とノーザンファーム側としては、「金でスターホースを外国に売り払った」という最悪のイメージを払拭することに心を砕いたように思える。阪神馬主協会会長を務める近藤氏はダーレーが対象になった馬主登録審査会を欠席し、馬主団体代表として唯一反対票を投じなかった(サラブnet)。瓜田李下の教えによれば決して褒められた行動ではなく、近藤氏の胸にも引っかかるところはあったのかもしれない。

外国資本参入に警鐘を鳴らすライターの河村清明氏は「『大衆の競馬』から『お金持ちの競馬』へ大きく舵を切っているような気がする」「はたしてお金持ちの競馬を志向して、『長く親身に応援してくれるファン』を多数獲得できるのだろうか」(“競馬場通り”の住人)と疑問を投げかけている。さらにムーンの40億円での購入は「日本の大物馬主の懐柔策」だと言う。この点、近藤氏を懐柔するためと断じるだけの具体的な証拠は何もなく、軽率な批判は控えるべきだろう。むしろ、多少はそうした意味合いがあったとしても、今年も現役のイギリスダービー馬などを買い求めているゴドルフィンの行動からは、ドバイで高いパフォーマンスを見せたムーンに触手を伸ばすことは自然なことではないか。もちろん、結果的に去年までダーレー参入に反対してきた近藤氏と社台グループのスタンスを百八十度転換させるのに何らかの影響があったなら、ゴドルフィンはしてやったりだろうが。

ところで、河村氏の言う「大衆競馬」とは何を意味するものだろうか。札幌大学の岩崎徹教授は著書のなかで、日本競馬の特徴は大衆競馬にあるとした上、「競馬を支える馬主、生産者、ファン」が特権階級でない庶民的、大衆的な性格を持っていると指摘している。馬主に関して言えば、平均所有頭数は2頭強しかなく、中小企業の社長や医者、タレントなど零細馬主が中心であるという。また、生産者も家族経営が多く、一般ファンもクラブ法人を通じて安価に馬主気分を味わっているとする。だが、こうした大衆競馬の基盤は崩れつつある。馬主数はピーク時の4分の3まで落ち込んでしまう一方、社台グループやキンコンカンに代表される大馬主の寡占化が進んでいる。馬産地では社台ひとり勝ちと日高・家族牧場の衰退は顕著であるし、ファンの馬券購買額の減少には歯止めがかからない。小さな問題かもしれないが、一口馬主の課税強化問題にJRAが手を打たなかった(打てなかった)のも、傾向に拍車をかける一助になったかもしれない。

では、ダーレーの本格参入は大衆競馬を突き崩すことになるのであろうか。賞金のπは限られているから、ダーレーが日高の牧場を次々と買収し規模を拡大していけば家族牧場は隅へと追いやられ、社台、ダーレー、他の有力生産者の争いになることは間違いない。ダーレーはオーナーブリーダーだから、その構図は馬主の世界にも持ち込まれる。同一馬主の馬が同じレースに何頭も出走するという事態を招き、公正競馬を疑われるケースも出てくるかもしれない。ライバルの馬を陣営の仲間で取り囲む作戦も容易にできてしまう。しかし、ファンに社台グループの寡占化を強く印象づけてしまっている現状では、大衆競馬を旗印に外資反対を叫ぶのは支持を得ることが難しかろう。私自身、たくさんの人々が馬主になることができる仕組みは残していくべきだと考えているが、その施策は馬主の収入要件や共有馬主制度の規制緩和などによって行うべきで、それは地方競馬を含めた日本競馬のグランドデザインから見直さなければ解決しないことだと感じている。

サンデーサイレンスの登場で一気に加速した社台グループの寡占化は、従来の大衆競馬を変容させつつあった。ファンに内在するダーレー待望論があるとすれば、社台一極集中のカウンターパートを求めるが故であろう。そうだとすれば、大衆競馬が壊れつつあることが、さらに大衆競馬を変えてしまうだろう外資参入を期待させる皮肉な結果を招いていると言える。私は従来から主張しているように、外資参入をどう役立てていけるか考えるべきだというスタンスに変わりはないが、対極的な位置にいる河村氏の「日本の競馬の目指すべき方向があいまいなままの方向転換は危険が伴う」という意見には賛成だ。攘夷論、開国論という単純な二分法的思考に陥るのではなく、変えるべきは何なのか、守るべきは何なのか、議論していく必要があると思う。やはり、この島国を揺り動かすのはいつの時代も黒船のようだ。

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2007.07.06

ダーレーの馬主資格承認 遂に外資への門戸開く

複数の報道によれば、3日、中央競馬の馬主登録審査委員会が都内で開かれ、去年は却下されたダーレー・ジャパン・ファームの馬主申請が認められることになった。 4日のJRA審査会を経て、正式に認可される。ダーレー・ジャパンはJRAの獣医師だった高橋力氏が代表を務めているが、アラブ首長国連邦のムハンマド殿下の傘下にあることは言うまでもない。今回、申請が認められるダーレー・ジャパン・ファームは北海道で生産活動を行うグループ内の法人のひとつ。やはり代表は高橋氏とはいえ、言葉は悪いが本家ダーレーの名義貸しなのは間違いなく、遂に中央競馬で外国人馬主に門戸が開放されることになると言って良いだろう。 JRA、馬主団体、馬産地と、頑なに非居住外国人の馬主登録に反対してきた競馬界の方針は、パート1国入りとともに実質的な転換を余儀なくされたことになる。

去年の馬主登録審査委員会では出席した委員全員が反対したが、今年は15人のメンバーのうち反対したのは5人だけだったという。馬主団体以外のJRA職員、学識経験者らの委員は賛成に回ったものと推測される。これまで馬主団体や生産者は、莫大なオイルマネーを背景にしたダーレーがやってくれば、日本の高額賞金が根こそぎ海外へと持ち去られ、国内の競馬産業が衰退するという脅威論を唱えてきた。ラフィアンの岡田繁幸総帥は世界中の有力な馬主が拠点を開設するようになり、「国内の生産者及び馬主は、おそらく7割くらいは消えてゆく」と警告を発してきた。「自国で調教を施して能力を見極め、成功する確信をつかんでから国内に送り込むという効率的なシステムを造り上げれば、海外に止まった場合よりも何倍も稼げる」と言うのである。

だが、現実としてダーレーはそのような収奪的な手法とは裏腹に、日高の中小牧場を買い取って生産拠点をつくったり、一流種牡馬を海外から輸入して安価に供用するなど、日本国内に腰を据えて活動を行っていく姿勢を明確にしてきた。 BCターフなど大レースを制して2年連続でワールドシリーズ・レーシング・チャンピオンに輝いたファンタスティックライトの種付け料は350万円、ジャパンカップをレコード勝ちしたアルカセットは250万円と、社台SSに繋養されているアグネスタキオン、スペシャルウィークの800万円と比べると割安だ。今年のダーレーの種牡馬は日高の生産者の間で高い人気になっていたそうだ。ダーレーは他牧場の生産馬を買い上げるなど、今や馬産地に資金を還流させる日高復興の救世主的な存在になりつつある。ただ賞金を海外へ持ち去っていく簒奪者でないことは、誰しも認めざるを得ないだろう。

競馬界は社台グループを除いて、かつての好況を取り戻せず、相変わらず閉塞感に包まれている。縮小傾向にある馬産地は、外資によって再活性化が図れるとする声もある。新勢力の登場で"社台の運動会"と揶揄される中央のレースは、マンネリから脱出して再び競馬ブームに火がつくきっかけになるかもしれない。外資の参入は無条件で歓迎するものではなく一定の制限は必要だが、すべて後ろ向きに捉えるべきではない。今回の馬主登録は日本法人に認可されるものだが、いずれ海外からの要求に応えて純粋な外国人馬主も受け入れる日が来るだろう。その時に備えて、日本の競馬界はこれまでのように反対一辺倒を声高に叫ぶのではなく、いかに資金を国内還元させるか、外資を利用して産業を繁栄させていくかを議論していかなくてはならない。ひとたび開かれた扉は閉じられることはない。

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2007.07.03

”タイキ”に行政処分 透けて見えるのは課税強化問題?

タイキシャトルやタイキブリザードなど数々の活躍馬を輩出している名門・大樹レーシングクラブと大樹ファームが金融庁と農林水産省から業務改善命令を受けたことが明らかになった。大樹レーシングクラブと同ファームはレース賞金を牧場運営費に充てるなど、適切な資金管理体制が整備されていなかったことが問題とされた。実際に会員への配当が支払われないといった被害は出ていなかった。同クラブは公式ホームページで「今回の処分を厳正に受け止め、全社を挙げて法令遵守を徹底し、再発防止と信頼回復に努めてまいります」と謝罪文を掲載した。金融庁は業務改善計画を13日までに提出、実施完了までの間、その実施状況を毎月報告するよう求めている。

大樹レーシングクラブが指摘を受けた資金管理の問題点は、クラブ馬主の仕組みに明るいファンでなければ、理解することはできなかっただろう。クラブ馬主制度は「競走馬に投資する現物ファンド(競走馬ファンド)」という形式で運営されている。まず、一口買いたいと考えたファンは、「愛馬会」と呼ばれる投資事業者に出資を行う。愛馬会は集めたお金で競走馬を購入し、馬主の資格を持つ「クラブ法人」に競走馬を現物出資する。レースで得た賞金はクラブ法人から愛馬会へと渡り、出資者へと分配される。タイキで言えば、愛馬会が「大樹レーシングクラブ」、クラブ法人が「大樹ファーム」である。両者は実質的に一体の事業者ではあるが、表向きは出資者と被出資者の関係であるため、法律に従って資金は分けて管理されねばらない。

ところが、大樹ファームはレース賞金を大樹レーシングクラブに渡さず、牧場の運営費として流用していた。一方、大樹レーシングクラブは出資者から預かった餌代などの維持会費を配当に回していた。もし、維持会費の回収が滞れば、他の会員の配当支払いに遅滞が起きることも理論的には考えられる。結局、財布は同じとはいえ、この混同した資金の扱われ方から、商品ファンド法に基づく適正な運営体制が整っていないと判断されたようだ。また、大樹ファームに投資販売業に関する担当者が置かれていないことも問題と指摘された。しかし、何故こうした資金流用が行われていたのか、いま処分が出された意図は何なのか、大樹レーシングクラブの財務状況と関連性はあるのか、他のクラブでは同様の問題は起きていないかなど、一般ファンには良く分からないことばかりだ。

1975年、クラブ馬主制度が、愛馬会、クラブ法人という二重構造になったのは、一口馬主である出資者は「馬主」として認められないという理由からだった。馬主資格を持つのはクラブ法人であり、そこにファンは間接的に出資しているに過ぎず、馬主としての権限は一切ない。一口馬主を疎ましく思う馬主会を納得させるための手段だった。昨年来、議論されている一口馬主への課税強化は、この二重の匿名組合を経由することに起因している。国税庁は一般の馬主と同様の処理を認めず、法律的には正しい匿名組合への出資として扱うよう方針転換を行ったのだ。穿った見方をするのなら、今回の件は改めてクラブ馬主は商品ファンドなのだという法的な解釈を世間に知らしめる官庁側の強いメッセージのようにも取れなくもない。事の真偽は分からないが、そろそろJRAもクラブ馬主への不当な扱いをやめ、競馬界での正当なポジションを与えるべく制度のあり方を議論しなければ、一口馬主制度はファンから見放されてしまうやもしれない。

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2007.06.29

POGはつまらない? サークル内から沸くルール改正論

先日、競馬カメラマン・ライターを職業とする方が書かれているブログで、現行のペーパーオーナーゲーム(POG)のあり方に関して疑問を呈する記事が掲載された。ブログは「競馬サロン◇ケイバ茶論」、記事は「POG ココに注意!」「予定調和のゲームは楽しいか」と題された2本。筆者はPOGが抱える問題点として、「必勝法とは単純に『社台ファームかノーザンファームの良血馬2歳馬を取る』というもの」になっているとし、「ここ数年のPOGでは、指名馬を決める『ドラフト』