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2011.10.06

凱旋門賞リポート ロンシャンの夢は遠のくことなく

10月2日。晴天の続いていたパリは、この日も真っ青な空が広がっていた。快晴という表現はよく使うものだが 、三百六十度、どこを見渡しても一片の雲がないというのは、四方を海に囲まれた国ではそう何日もあるわけでない。前日、ナカヤマナイトが出走したドラール賞を観戦するためロンシャンを訪ねたが、強い日差しにどっと汗が吹き出した。私が初めてロンシャンに赴いたのは3年前。メイショウサムソンが参戦した年だ。雨が断続的に降り、上着を羽織っても肌寒いほどだったのを覚えている。この時期、ここまで暑さが残るのは珍しいことのようだ。

今年、日本から凱旋門賞に挑んだのは2頭。天皇賞春を制したヒルノダムールと、去年の凱旋門賞で2着に惜敗したナカヤマフェスタだ。ともに前哨戦のフォワ賞を使っての本番。強力なライバルが揃うなかにあっても、 優勝候補の一角として現地でも認識されていた。この2頭には共通点がある。昨今、質量とも圧倒的な優位に立 つ社台グループの生産馬でなく、日高の中小牧場で産まれ、馬主、調教師に見出されたということ。ヒルノダムールの昆貢師はとりわけ日高への思い入れが強い。ディープスカイやローレルゲレイロなどで数々のビッグレースを制しているが、管理馬のほとんどは非社台の馬たち。「社台グループが強くなりすぎてしまったら、競馬自体が面白くない」(競馬ラボ)と公言し、人を育てたいとの理由で外国人騎手も使わない異色のトレーナーだ 。ヒルノダムールも昆師が牧場回りをするなかで見初め、蛭川正文オーナーに勧めた馬だった。

橋本牧場に行って初めてダムールくんに対面したんですね。前もって昆先生から、「遅生まれだから、普通の馬に比べて小さいし、薄手で、見栄えはしないですよ」と言われていたんですが、実際に会ったときも、先生の話どおり、小さくて薄手の馬でした。ただ、歩かせたときの様子を見て、なにかある、と思いました。(蛭川 「優駿2011/10」より)

8月半ば、直前まで徹底的に栗東の坂路で鍛えられたヒルノダムールはフランスへと渡った。お世辞にも高いとは言えなかった現地関係者の評価を一変させたのはフォワ賞の走りだ。直線、外からグイグイと脚を伸ばし、前を行くナカヤマフェスタ、セントニコラスアビーを一気に交わしたのだ。最後は馬体をぶつけながら間を割ってきたサラフィナに短首だけ先着されたものの、8分の仕上げで最有力候補と接戦を演じたのだから前哨戦としては満点だった。強引な進路をサラフィナが選択せざるを得ないほど内容の濃い競馬をしたとも言える。鞍上の藤田は悔しさを露わにしたが、ロンシャンの大舞台でも鼻っ柱の強さが変わらなかったのは期待を持たせた。

凱旋門賞当日のロンシャンは好天もあって5万2千人のファンで賑わった。入場ゲートをくぐるのも一苦労、パドックは立錐の余地もない。多数のカメラとクラシカルな音楽を用いて、騎手の入場から表彰式まで荘厳さを演出。 特別な一日であることを知らせてくれる。この日はG1級の9つの競走が行われ、メインの凱旋門賞は第6レー スに組まれた。その前に日本のファンとして見ておきたかったのが、第4レースの2歳馬最強決定戦、ジャン・リュック・ラガルデール賞。輸出されたハットトリックの仔、ダビルシムが断然人気に推されていたからだ。グレーに赤い星が散りばめられた勝負服、デットーリを背に威風堂々と登場した同馬。スタートで出遅れてハンデを負ってしまう。ところが直線、最後方から内を一気に突き抜け、ゴール前で先頭に。スタンドから大歓声が巻き起こる、衝撃的な勝利をあげた。1400メートルの勝ちタイムは1分19秒85。スピードの出る硬い馬場は、サンデーサイレンスの瞬発力を活かすのに最高の条件だ。最内を引いたヒルノダムールも同じような競馬ができればチャンスは広がる。そうダビルシムが示してくれたように思えた。

凱旋門賞に出走するのは地元フランスのほか、イギリス、アイルランド、ドイツ、日本の調教馬。かつては珍しかった日本からの遠征も、今ではロンシャンウィークエンドを彩る風物詩のひとつになった。日本語のプログラムが販売され、馬券売り場は日本語専用のものが設けられるなど、押し寄せる日本ファンへの対応は手馴れたものだ。また、場内放送ではフランスのファン向けに繰り返し日本馬について解説がされていた。現地の有力紙「ParisTurf」はサラフィナリライアブルマンの二強対決がトップを飾るが、中を開けば一面を使って日本馬2騎の特集企画を掲載。1999年のエルコンドルパサー以来、日本馬は7頭が挑み3頭が複勝圏内に入った記録も紹介されている。同紙の各メディア(17)の推奨馬一覧では、ヒルノダムールとナカヤマフェスタを本命にしたものが1紙ずつ、次位にヒルノダムールをあげたのが2紙あった。ディープインパクトなどロンシャンを経験させることなく、ぶっつけで凱旋門賞に挑むローテーションに欧州メディアは批判的だったし、日本の一流馬と言えども海の物とも山の物ともつかぬ疑いを抱いていた。しかし、去年、今年と前哨戦、 現地調教を経て本番に臨むステップを踏むようになったことで、日本馬による制覇が彼の地でも現実感を増してきたのではないか。

ひとつ前、第5レースのフォレ賞。欧州最多G1勝利馬のゴルディコヴァがアタマ差の2着に敗れ、観衆からどよめきが起きる。波乱の雰囲気が覆う。パドックにはオペラ賞に持ち馬を出走させる吉田勝己夫妻が現れた。そして、急に増えてきた人垣に蛭川オーナーが登場。杉本清が挨拶に訪れ、土川健之JRA理事長もやって来る。装鞍所から各馬が静かに入場。大型モニターに階段を降りてくるジョッキーたちが映し出され、藤田と蛯名がクローズアップされた。関係者には笑顔で頭を下げた藤田だが、周回する愛馬を見つめる顔は険しい。ヒルノダムールは発汗が目立ち、独特の雰囲気に飲まれたかのように入れ込んでいた。藤田は馬を止めて騎乗すると、パドックを1周。あちこちから日本の両ジョッキーに声援があがる。私はパドックで騎手の名を呼んだことはないが、この時ばかりは「藤田、頑張れ!」と声をかけてしまった。誘導馬に導かれ、16頭が馬場へと向かう。家族経営の小さな日高の牧場で生まれた2頭の晴れ舞台。様々な人々が苦労を重ねて辿り着いたことを思うと、胸が熱くなる。ヒルノダムールは1番枠、ナカヤマフェスタは16番枠だ。

ゲートの中でもうるさいところを見せていたヒルノダムール。好スタートを切ると、藤田は馬を落ち着かせて 4、5番手につけた。大外のナカヤマフェスタは下げざるを得ない。サラフィナら有力馬は後方。道中も仕掛けていく動きはなく、フォルスストレートに入っても縦長の隊列は崩れない。最後の直線。内で脚を溜めていたヒルノダムールの進路が開く。「伸びろ!」と叫んだ。だが、いつもの差し脚がヒルノダムールにはなかった。レース前に体力を消耗してしまっていたのだ。ヒルノダムールの後ろにつけていたデインドリームが矢のような脚を繰り出し、後続をみるみる引き離していく。伏兵、ドイツ3歳牝馬による2分24秒49のレコード。5馬身差の2着にシャレータ、3着にスノーフェアリーと牝馬が上位を独占した。有力馬が後方で牽制し合うなか、位置取りが勝敗を決することになった。ヒルノダムールは10着。藤田の騎乗は完璧だっただけに、本来の力が出せていればと惜しまれてならない。ナカヤマフェスタは11着。去年の状態には戻りきっていなかった。

レースが終わると、巨漢馬たちが表彰台を引いて観客の前を通りすぎていく。ドイツ国歌が演奏され、デイン ドリームのシュタルケが表彰台で高々とトロフィーを掲げる。「T.Yoshida」の名がオーナーとしてアナウンスされた。わずか1週間前に同馬の権利を半分買い取り、引退後は社台ファームで繁殖入りすることになっているという。ドイツ産馬初の凱旋門賞優勝は、日本人馬主による初の優勝でもあったわけだ。改めてヨー ロッパ競馬の層の厚さを痛感した今年のレース。その一方で、ディープインパクトが負けたときの絶望感とは対照的に 、毎年のように挑戦を続けていけば必ずチャンスは巡ってくるだろうという希望も湧いていた。半世紀に一度の不世出のサラブレッドを待つ必要はない。適性あるトップホースが、欧州諸国の馬が遠征するように、前哨戦から凱旋門賞へと挑み、「普通」に有力馬の一角となること。勝負は時の運なら、近い将来、日の丸がロンシャンに上がるはずだ。それだけの強さと経験を日本競馬は手にしている。社台と日高が切磋琢磨し、夢を叶えてほしい。1969年のスピードシンボリの初挑戦から50年になる2019年までにはと願う。そのとき先頭でゴールに駆け込むのは、デインドリームとディープインパクトの仔かもしれないと想像を膨らませつつ、2度目のロンシャンを後にした。また私も戻ってくると心に決めて。

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