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2010.07.27

雑感「語り継ぎたい名馬たち」 オグリと競馬の物語性

今月、800号を迎えた優駿で読者と競馬評論家による「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち」の投票結果が発表、大々的な特集記事が組まれた。 JRAは10年前にも「20世紀の名馬100」と題したファン投票を行い、ナリタブライアンが1位に選ばれたことがあった。今回は2000年代以降の競走馬も対象になり、上位2頭を新たなスターホースが占めることになった。やはり1位はディープインパクト。強さという面では誰しもがトップと認めざるを得ないのではなかろうか。2位はウオッカ。こちらは対照的に負けたレースの多い馬ではあったが、牝馬によるダービー制覇、ダイワスカーレットとの激闘、ジャパンカップでの復活など、ストーリーには事欠かなかった。直近の馬ほど票が入りやすい傾向も踏まえても、純粋な強さやタイトルだけで優劣を決めるのではなく、 ”語り継ぎたい”という主観の集合を量るのならばウオッカは妥当な選出だろう。そして、20年前に引退したオグリキャップが4位にランクインしているのも、語り続けられる”物語性”の圧倒的な豊かさゆえである。少し思いつくまま記述してみる。

7月3日に世を去ったオグリキャップは、第二次競馬ブームを巻き起こした最も有名なサラブレッドだ。オグリが一般社会で空前の人気を博したのは、地方から中央へ駆け上がったサクセスストーリーをバックグラウンドに、クラシックに出走できなかったこと、タマモクロスという強敵に行く手を阻まれたこと、馬主の脱税問題に絡むトレードで過酷なローテを強いられたことなどなど、乗り越えるべきハードルが飽きることなく観客に示されていたからだ。私たちが競馬に物語を見出すとき、そこでは必ず競走馬を擬人化しているわけで、一般の小説や映画、ドキュメンタリーと同様、自然とビルドゥングスロマン(成長譚)を求めている。スターウォーズでもガンダムでも1Q84でも、未熟な少年が日常を離れ、他者の助けを受けながら困難に立ち向かい、成長して帰還するというストラクチャーは変わらない。ポストモダンでどれだけ懐疑性が強まっても、自己実現や主体性の確立をテーマにすることから免れていないのだ。

誤解を恐れずに言えば、競走馬の物語性もビルドゥングスロマンの構造に当てはまりやすいほど完成度は高くなる。父親的な存在である小栗孝一のもと、小さな競馬場で連勝を重ねたオグリキャップ。あり余る才能ゆえに冒険への召命を受け、小栗の手を離れて中央へと出立する。第一の難関・タマモクロスに挫折を味合わされるものの、有馬記念では岡部の援助を受けて遂に倒す。古馬になってからもより強大なライバル(スーパークリーク、イナリワン、ホーリックス)や困難が出現し、その度にオグリは成長を続ける。そしてラストでは絶体絶命の窮地から奇跡の勝利をつかむ。まるでキン肉スグルが悪魔超人、悪魔六騎士、完璧超人と戦い王座を継承し、悟空がピッコロ大魔王、フリーザ、魔人ブウに挑み、宇宙を救ったように。オグリの競走生活は背骨となる明確なストーリーラインが一本貫き、且つ、それを肉付けする山谷の起伏が豊かだから、奇跡的な物語性を有するように見えるのだ。観衆はディープの強さに驚嘆できても、オグリほどの共感は得られない。

そうした観点から、オグリを超える物語性を持つ馬が現れるのか考えてみた時、現在ではその確率は低くなっているのではないかと感じる。理由は物語を豊かにするギミックが以前より損なわれているからだ。中央と地方の入厩馬の質や育成施設の格差拡大、G1レースの増加、距離体系の整備による競走馬のスペシャリスト化。社台グループの寡占と中小牧場の衰退も含まれるだろうか。あるいはサンデー産駒が種牡馬リーディングを占めるのも、長い間、陽の目を見なかった内国産種牡馬からトウカイテイオーが輩出されるといった共感できる出自の物語を紡ぎづらくさせている。競馬の理念からは逆説的だが、国内のトップレベルの質が向上し、またレース体系がしっかり確立された分、個々の馬が直面する障害は少なくなり、物語が平板になりやすくなっているとは言えまいか。そうした中で現れたウオッカは非常に稀有な存在であった。馬券の売り上げが減少する今、もし競馬ブームを再燃させたいなら、物語が生み出されやすい仕掛けを設ける視点が求められるのだろう。もっとも、受容する側がオーソドックスな物語を昔と同じ熱さで欲していればの話だが。散漫な内容で申し訳ないが、この辺りまでで雑感的に記すに留めさせてもらい、機会があれば再考察を試みることにしたい。

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コメント

この間の週刊文春のコラムに、オグリキャップが死んだニュースを物語性を込めて新聞各紙が記事にしたことについて、「競馬の馬に、時代を重ねるというのが理解不能。世の中には、馬一頭が死んだことより重要なニュースがあるのに、新聞各紙はくだらない記事を載せるな」(意訳)などと書いてありました。
最初は、ものすごく腹が立ちましたが、今は「オグリキャップは競馬の世界を超えた存在」と思っているのは、実際は競馬ファンだけなのかな、という気もしています。

投稿: tetsue | 2010.07.27 23:58

>tetsueさま
何を持って所属するカテゴリーを超えた存在であるかの線引きは難しいですが、オグリが超えてなければ競馬が社会的存在であったことはないのでしょうね。

投稿: ガトー@馬耳東風 | 2010.07.30 01:36

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