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2009.09.10

引退馬の余生はファンレベルで解決すべき課題だろうか

前日のエントリーについて、この時点で掘り下げる予定はなかったが、キルトクールブログより新たなボールを投げられたので、簡単にご返事申し上げたい(先方に負けず劣らずまとまりのない文面になってしまったが)。キルトクールでは、一口馬主から希望者を募り、余生の飼葉代を負担する仕組みをクラブ側がつくったらどうかと提案している。まずは下記リンク先を読んでいただいてから、拙記事を見ていただきたい。

>>そろそろ引退馬の余生について考えてみないか?(システム)

対象は重賞勝ち馬に限るなど、具体的な案を出されたことには敬意を表したい。だが、そもそもクラブ馬を特別扱いすることが議論の方向として正しいのか、市井のファンだけが経済的な責任を負う考え方が適切なのか、私は疑問を感じてしまう。生命を一日でも生きながらえさせるのを善とするならば、自宅の駐車場で馬を飼うことすら肯定されるのだろうが、ボランティア精神の向上を個々の良心に訴えるのが今回の趣旨ではあるまい。キルトクールが提言されようとしているのは、現実的に持続可能、且つ、多数の馬が処分される現況を併せ呑んだ上で、一部の活躍馬は余生が保障されるシステム案だと思う。

率直に言えば、キルトクール提案をあまねくクラブ側が受け入れるのは非現実的だ。クラブ側のメリットは皆無に近い。殊更、余生問題を前面に出すのは却ってイメージを損なうからだ。去るもの日々に疎し。支払いに同意した出資者も月日が経つに従って、律儀に飼葉代を振り込む人は少なくなる。当該馬の身分は不安定なものになり、受け入れ側も信頼できないだろう。もちろん、クラブ馬かどうかに関係なく、目の前の一つの命を救うことに統計的な価値判断など入り込む隙はない。引退馬をボランティアやグループを運営して世話をしている方々の活動は、私は素直に素晴らしいと思うし、さらに広がっていってほしいと願っている。しかし、構造的な問題として俯瞰したとき、主催者や生産地、直接的関係者を省いて、いきなりファンレベル、草の根レベルに解決策を押し付けるのは酷ではないか。

私見を述べれば、ファンが変革の一端を担うなら、アクションを起こすなりして、JRAが資金を出す施策を求めるのが一番の近道だと考える。キルトクール提案は「重賞勝ち馬に余生を与える」というスタンダードを掲げている。これを実現するならば、例えば助成金を今の数倍にして、その代わりに引退後も面倒をみることをクラブ法人、一般馬主に関わりなく義務付けたらどうか。あるいは重賞賞金を引き上げて、上乗せ分は引退後の費用として事後に預託先に払う仕組みはどうか。いずれにせよ、その原資は馬券代なわけだから、広く浅くファンが負担することになる。蛇足だが、養老馬が増えれば、経営に窮している中小牧場も多少なりとも潤うのではないか。ただ、それにせよ大多数の馬に余生を与えることはできないわけで、競馬が食肉産業と違って、夢やロマンを前面に押し出すエンターテイメント産業である以上、余生問題は影のようにつきまとうのは避けられない。

※ひろく~んさんの執筆のモチベーションになっているドリームパスポートの現況だが、歴史ある乗馬クラブに引き取られ、ファンの訪問も受け入れられている様子から、私には問題があるとも思えない。むしろ、ドリームパスポートのような余生を過ごせる馬を増やしていくことが理想なのではないか。
>>ドリームパスポートを訪ねて~恵庭 すずらん乗馬C

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いつも大変参考にさせていただいている、キルトクールブログ(ひろく~ん)さん、馬券日記 オケラセラ(ガトー)さんのブログにて、競走馬の引退後の余生について熱く語られております。大変参考になりますので、ここで紹介させてもらいます↓ キルトクールブログ そろそろ引... [続きを読む]

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