日高軽種馬農協の軽種馬当歳馬名簿で、今年、生まれたアングロアラブが初めてゼロとなっていたことが明らかになった。この名簿は生産者から届け出をもとに製作されるもので、同農協には軽種馬生産者のほとんどが加盟している。かつて、年間4000頭近くも生産されていたアラブだったが、1995年にJRAがアラブ系の競走を廃止した頃から急撃に生産が縮小し、去年、同農協が主催した北海道オータムセールでは上場馬がわずか2頭に留まっていた。中央のみならず、地方でも五月雨式にアラブ系競走は廃止の一途を辿っており、生産頭数の減少を鑑みて、一昨年、アラブだけで開催していた福山競馬もサラブレッド導入に踏み切った。今年6月には福山で行われたタマツバキ記念をもって全国のアラブ交流戦も消滅している。寂しさはあるが、アラブの生産がなくなることは時代の趨勢と言うしかないのだろう。
我々がアラブと呼ぶ品種は、正確には純血アラブとサラブレッドの混血種であるアングロアラブである。アラブと認められるためには、アラブ種の血が25%以上なければならないとされた。もともとアラブは戦前の軍馬改良の一環として、繊細なサラブレッドを温厚で丈夫なものにしようと盛んに生産が行われるようになった。戦後は復興のため地方競馬が各地で開かれるようになり、馬不足のなか、短い間隔で出走を繰り返すことができて管理も比較的容易なアラブが非常に重宝された。しかし、タイムで劣る、メンバーが固定化している、サラブレッドすら余っている、血量を偽ったテンプラが横行しているなど、ネガティブなイメージが喧伝されて、サラブレッドより格下扱いされるようになると、ファンや馬主の人気は衰えていった。70キロの斤量も苦にしないアラブには独特の魅力があるが、そうした楽しみ方が受け入れられなかったのは不幸なことだった。
アラブ競走の全盛期には中央ではタマツバキ、セイユウ、シュンエイ、地方ではイナリトウザイ、ローゼンホーマなど、歴史に名を残す名馬が次々に現れた。戦後まもなく活躍したタマツバキは 83キロの酷量を背負って勝利するなど、そのタフガイぶりは今でも語り継がれている。厳しい斤量と闘う姿は大いにファンの共感を呼んだそうだ。1957年、アラブで無敵を誇ったセイユウはサラブレッドに挑戦。七夕賞、福島記念を連勝すると、セントライト記念に参戦して59キロの最重量をものともせず同世代のライバルたちを打ち破ってしまった。この時の2着馬は菊花賞を制するラプソデーだった。このセントライト記念がアラブによる初のサラ重賞制覇である。菊花賞は制度上、出走できなかったが、もし出ていればアラブのクラシック制覇の偉業を打ち立てていたかもしれない。
私が競馬を始めてからも、アラブ最強馬によるサラブレッド挑戦はファンの心を躍らす一大イベントだった。南関東アラブ三冠馬・トチノミネフジの中央参戦は記憶にある人々も多いのではないだろうか。1994年、6歳(旧表記5歳)時に隅田川賞で大井二冠ブルーファミリーを破って13連勝を飾ったトチノミネフジは、吾妻小富士オープンへ挑んだ。一時は1番人気に支持されるほどの過熱ぶりだったが、芝適性のなさ故か得意の先行力を活かせずに2番人気11着に敗れた。馬群でもがく巨漢馬の姿に、私は胸が熱くなったのを覚えている。中央・森秀行厩舎のムーンリットガールは何度も挑戦を続けた女傑だった。1994年の府中3歳Sでは勝ち馬ホッカイルソーからコンマ4秒差の5着に健闘。翌年のスプリンターズSでも大敗したものの、重賞馬ゴールドマウンテンらに先着した。アラブの血は後世には繋がらないが、長い間、競馬を支えた彼らの活躍は歴史に留めなくてはなるまい。
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