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2007.08.01

悲劇の先駆者・道川満彦 自由を求めた不屈の生涯

今でこそ海外に出かけ、現地の競馬に騎乗することも当たり前になったが、 18年前、マレーシア、シンガポール、ドバイなど世界を股にかけて、アジアにその名を轟かせたジョッキーがいたのをご存知だろうか。 5年前に廃止された益田競馬場出身の道川満彦。道なき道をたった一人で切り開いていった国際派騎手のパイオニアである。益田でトップジョッキーの地位を築きながら、さらに大きな舞台に立ちたいと海外へ活躍の場を求め、自ら現地へ赴いて売り込みを図った。しかし、古き地方競馬界は若手騎手の「我がまま」を認めようとはしなかった。道川に海外移籍に必要だったクリアランス(無制裁証明書)が発行されるまで、実に7年もの歳月を要すことになった。それでも、決してあきらめようとしなかった道川の精神力には驚くばかりだ。道川は今年5月31日、白血病のため53歳でひっそりと息を引き取った。地方出身の岩田が中央リーディングを走り、国際化の荒波に揺れる今の日本競馬界に道川は何を思っていたのだろうか。

道川が島根県益田市で生を受けたのは1954年。第五福竜丸がビキニ環礁で死の灰を浴び、洞爺丸が一千人以上の乗客とともに転覆した年である。親戚が地方競馬の関係者でありながら、少年だった道川がめざしたのは中央の騎手だった。だが、14歳で馬事公苑長期過程の受験に失敗。その後、京都・加藤清一厩舎に入門したものの、やはり騎手過程に不合格となった。この時の同期生には河内洋がいた。故郷に呼び戻された道川は、20歳で益田競馬・高橋勇厩舎よりデビューを果たす。世間はハイセイコーブームの真っ只中だった。道川が才覚を現すのに時間はかからなかった。3年目には74勝をあげてリーディング争いに加わると、以後は益田を代表するジョッキーとして知られるようになった。しかし、年収300万円ほどの生活、日本一小さな競馬場のレベルに道川は満足できなかった。かたや、京都競馬場で轡を並べた河内は、アグネスレディーやカツラノハイセコをお手馬にして新聞紙上を賑わしていた。

オールカマーさえ地方馬に門戸が開かれていない時代。中央への移籍は到底、無理だと感じていた道川が目を向けたのは海外だった。 1981年、活路を求めて香港・ハッピーバレーを訪問する。日本の調教師が発行するクリアランスがあれば受け入れると言質を得たものの、益田で道川を応援しようという調教師は現れなかった。道川の行動は自己中心的な我がままだと、閉鎖的な厩舎社会は厳しく断罪したのである。それでも道川は香港やシンガポールに出かけて騎乗への道を探った。その執念に調騎会が折れたのは7年後。「他の地方競馬に移籍しない」ことを条件にして、ようやくクリアランスが発行された。そして、何度も繰り返し手紙を送ったマレーシアのK・L・チョン師から、専属騎手として受け入れるとの返事がきたのである。思う念力、岩をも通す。1989年、34歳にして道川は海外での活躍の場を勝ちとった。

マレーシア、シンガポールの競馬は欧州式だった。前半はスローで淡々と流れ、ペースのあがる後半で勝負が決まっていた。ここに道川は益田の競馬を持ち込んだ。抜群のロケットスタートでハナを奪うと、後続を寄せ付けずにあれよ、あれよという間に逃げ切ってしまうのだ。発馬の鮮やかさは「カミカゼスタート」と評された。移籍してわずか一ヶ月でテン・ゴールドCを勝って重賞初制覇を飾ると、その勢いは衰えず、年間54勝をあげてリーディングトップの座を射止めてしまった。道川の登場はジョッキーたちの騎乗スタイルを変えるほど衝撃的なのものだった。シンガポール外遊中の竹下登首相から激励を受け、現地ではCMに出演するなど、文字通りスタージョッキーへと伸し上がった。翌年もリーディング争いを続け、何もかもが上手く運んでいるように見えた道川。だが、絶頂期は長く続かなかった。突然の災難は日本国内で起こった。

1990年9月26日付けの東京スポーツは、一面の見出しで「発覚 八百長 競馬疑惑」と大々的に報じた。八百長の三文字だけが大きなフォントで、スタンドに折りたたまれれば「八百長 日本人騎手 海外で汚点」としか読めなかった。紙面には「地元○暴と黒い噂 国外追放へ」「目立つクサいレース」「日本復帰絶望」と、道川を犯罪者扱いする文字が躍っていた。シンガポール競馬場のトップの「ミチカワの身辺に黒いシンジケートの噂がある」というコメントも引用した。しかし、これは全く根も葉もない出鱈目だった。もともとは道川と些細なことで不仲になった日本人馬主が、悪口を現地で触れて回ったことにあった。このなかに八百長を持ちかけられたというものがあり、噂を聞きつけたサム・オカヤという日本人が東スポにネタを売り込んだ。情報提供の見返りとして東スポから支払われたのは8万円だった。オカヤが指摘したのは89年5月7日の第7レース。ところが、黒い疑惑とされたレースで道川は逃げ切り勝ちを収めていた。

八百長をしたと認められることは、騎手生命を絶たれるのと同じことである。急遽、道川は日本に帰って、東スポを名誉毀損で訴えることにした。競馬場トップの発言は捏造だということが明らかにされ、公判中に東スポはシンガポールに謝罪文を送付した。当然、道川の八百長の事実は否定された。1992年9月30日、東京地裁は道川全面勝訴の判決を下し、東スポに350万円の賠償金の支払いと謝罪広告の掲載を命じた。東スポは控訴せず、裁判は結審した。しかし、この事件が道川に与えたショックは計り知れないものがあった。田舎では記事の内容を否定しても誰も信じてくれず、「妻子には辛い思いをさせてしまった」と道川は嘆いた。記事が出てから年末まで4勝しかあげられず、道川はリーディング争いから大きく後退した。以後、活躍の場をマカオ、ニュージーランド、インドまで広げるが、 2度の落馬事故もあって目立った成績をあげることはなかった。血の滲む思いをしてつかんだ地位は一本の捏造記事で切り裂かれた。

1992年から3回、道川は憧れだった中央の門戸を叩く。受験は認められたものの、国語、数学、社会、競馬法規の一次試験で3度とも落とされてしまう。当時のJRAは道川の受け入れはとても容認できる体制ではなかった。安藤勝己の中央移籍はこれから9年後のことである。 1997年、ドバイで日本人初勝利をあげた道川は、アブダビでムハンマド殿下の馬にも騎乗する。この年が道川のラストライドとなった。2005年、51歳にしてフィリピンにライセンス申請したほど、現役へのこだわりは強かった。もし東スポの捏造報道がなかったら、もし道川が10年遅く生まれていたら、競馬の歴史は変わっていたかもしれない。裁判所によって濡れ衣と認められた今でも、道川は八百長の三文字がセットになって語られる。その度にマスコミやファンは、道川の身の潔白と、不撓不屈の精神で海外へと飛び出した業績を声高に伝えなければならない。自由を求め続けた悲劇のジョッキー、道川満彦。語り継ごう、あなたの偉大さを。

※このエントリーは以下の文献を参考にしました。
>>競馬裏事件史 これが真相だ!!
  『"早すぎた天才"が受けた報道被害の一部始終』(宝島社)
>>競馬最強の法則(2007.8)『カミカゼ・ジョッキー 道川満彦』(KKベストセラーズ)
>>道川満彦(Wikipedia)
>>御神本騎手&道川元騎手対談(益田競馬ファンクラブ)

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コメント

この東スポ記事はリアルタイムで読んでました。
いまと違って当時は書かれたらガセでもなんでも書かれ損でした。
いまなら完全に2ちゃんねるで祭りになってたでしょうに。

よく考えたら、横山賀一はギリギリいい時代に日本に戻りましたねw

投稿: ジュサブロー | 2007.08.03 22:05

こんばんは。

現在、干された形になっている同じ益田出身の御神本には是非、故人の高い騎手への意識を見習って出直して欲しいと思います。益田という競馬場があったことを後世に伝えるためにも御神本は再起しなければならないのではないでしょうか。このままで終わってはいけないと思います。

投稿: triomphe | 2007.08.06 03:23

>ジュサブローさま
東スポマニアの私としては、とても残念な記事ですね。
シャレにならなさすぎました。

>triompheさま
今年の上半期は色々ありましたけれど、
御神本にはしっかり頑張ってほしいですね。

投稿: ガトー@馬耳東風 | 2007.08.08 00:53

はじめまして


「道川満彦」一人の騎手としても一人の人間としても、とても素晴らしい人ですね


もっとたくさんの人に彼のことを知ってほしい

語り継いでいかなければいけませんね

投稿: ちろぴーぬ | 2014.05.31 21:45

>ちろぴーぬ さま
コメントありがとうございます。本当にそうあってほしいですね。

投稿: ガトー@馬耳東風 | 2014.06.06 01:25

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