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2006.12.30

ディープインパクト 伝説が生まれた2006年という時代

2006年は日本の競馬界にとって、歴史的な一年だったのは間違いがない。もちろん、その中心にはホースマンが憧れ続けてきた凱旋門賞という舞台に、一番人気で挑戦したディープインパクトなる偉大な存在があった。三冠達成後、有馬記念で不覚を取ったディープに課されたのは、国内最強馬であることを再び確認させた上、世界最高峰へ立つというものだった。凱旋門賞こそ様々な要因が重なって3位入線の残念な結果に終わったが、日本中を興奮の渦に巻き込んだ功績は讃えても讃えきれるものではない。自らのレベルアップを実感しながらも、どこか次の局面へ閉塞感に覆われていた日本競馬をブレイクスルーさせたのがディープだった。今年の足跡を振り返ってみたい。

思えば、春の天皇賞こそ、この馬の底知れぬ能力に衝撃を受けたレースだった。「ゆっくり上って、ゆっくり下れ」淀の掟を無視して、坂の登りから一気の超ロングスパートをかけたディープ。並の一流馬なら直線でバッタリのはずだ。しかし、ディープは上がり4ハロン44秒8【11.3-11.0-11.2-11.3】という超人的なラップを刻んだ上、不滅と言われたマヤノトップガンが追い込みで記録したレコードより1秒も速くゴールしたのである。道中、「しめた!」と喜んだ横山典リンカーンの期待を見事に裏切り、手綱を取った武豊をして「世界にこれ以上強い馬がいるのかと正直思う」と言わしめた。ハーツクライの参戦はなかったが、競馬を知る人なら誰もが未曾有の名馬が出現したことを認めざるを得なかったのではないか。

海外遠征は一戦だけと決めた陣営は、宝塚記念をステップに凱旋門賞へ向かうことにした。宝塚記念では3歳時に見せていたテンションの高さが影をひそめ、重い馬場に対応できたのは収穫とされた。だが、サラブレッド、とりわけ能力が高い馬にとって、レースに出走することが大きなリスクであるのならば、宝塚記念はディープにとって価値のあるものではなかっただろう。一方、結果論としてペリエらが凱旋門賞の前に前哨戦を使うべきだと主張していたことは、もう少し傾聴せねばならない内容だったかもしれない。もちろん、宝塚記念より優れた適鞍があるのか、ディープが間隔をあけた方が良いタイプではないかといったことから、安易に結論づけられることではない。

ディープの凱旋門賞挑戦は自然な成り行きに見えるが、テイエムオペラオー、スペシャルウィーク、シンボリクリスエスら時代の現役最強馬のように、国内専念という選択肢を採ることも考えられたはずだ。高額賞金を捨てても名誉にかけるオーナーや調教師の強い意志がなければ、ディープの海外遠征は実現しなかった。サクラローレル、マンハッタンカフェ、ホクトベガのように異国で競走生命を断たれる可能性も低くない。引退後、金子真人オーナーが「来年もディープの勝負を見るには私のハートは小さすぎた」と胸の内を吐露したが、馬主にも調教師にもファンの想像を絶するプレッシャーがあったに違いない。まず、私たちファンは彼らに感謝の念を投げかけるのが筋ではないか。

凱旋門賞の敗因を客観的に分析すれば、展開、斤量差、ローテーション、アウェイの調整など、幾つものファクトがあげられよう。だが、私が惜しむらくはディープ本来の競馬をしなかった点に尽きる。ポンと出て先行する優等生の手綱さばきは、様々な思惑や状況から武豊がディープに余所行きの顔を強いざるを得なかったが故だろう。しかし、天皇賞春で証明された絶対能力を伏線として、ロンシャン掟破りの擬似直線で最後方からのロングスパートという破天荒な競馬こそ、個人的には見てみたかった気がしてならない。肉を斬らせて骨を断つ。そうしたチャレンジが許されないまで、ディープの挑戦は国民的な関心事に高まりすぎていたことも理解はしていてもだ。

レース後、禁止薬物が検出されて失格処分となったことは、次回に活かすためにも冷静に受け止めなければならないことだ。寝藁から摂取したという発表については、真相を語っていないという指摘も根強い。いずれ新事実が明らかになるのかもしれないが、ドーピングでなく治療目的だったのは明白で、ディープ陣営の挑戦は競馬史の輝かしい誇りであることに変わりはない。ジャパンカップはダークになりかけたイメージを払拭した復活劇だった。次走の有馬記念はエピローグの一部分であり、物語の本筋は既に結ばれていたと見るべきだ。ラストランの入場者数が予想を下回ったことも、そのように感じたファンが多かったからかもしれない。ディープの末脚を見せつけられるほど、凱旋門賞の先行策を悔やんでしまうのは余計な副産物だろうか。

ディープが国民的なスターにまで上り詰めた一方で、JRAの過剰なディーププロモーションや、それによって発生したディープファン、アンチを許さなかった雰囲気に対して、批判を投げかける識者たちも多い。ディープ馬像を競馬場に飾った JRAの見識は問われるが、衰退傾向にある競馬人口に一定の歯止めをかけたことは評価すべきではないか。確かに金子服を着て少額の単勝を握るディープファンは売り上げに貢献しなかったかもしれない。だが、同じことをアイネスフウジンの中野コールをして、オグリぬいぐるみを買い求めたファンにも突きつけていたことを忘れたのだろうか。今、私と同世代の少なくないファンは、この時期に競馬を始めている人たちだ。十年後、残ったディープ世代が競馬ファンのコアになっていることを期待したい。

オールドファンもディープ世代も、競馬ファンはディープインパクトによって、世界の頂点をめざす夢のような時間を共有させてもらったのではないか。それは現実のものとはならなかったが、競馬というエンターテイメントがプロセスに価値を置くものなら、ディープは間違いなく最高の名馬だった。ディープが生み続けたドラマを超越した”伝説”は、いつまでも語り継がれるだろう。そして、これほどの馬が大きなケガなく競走生活を終えて、父親として次の世代へと夢を託す仕事に就いてくれたことに深く感謝したい。ありがとう、ディープインパクト。君の走った時代に競馬ファンだったことを心から嬉しく思う。

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コメント

凱旋門賞では僕も追い込みを期待していたのですが武豊TV!での発言から先行策も十分あり得る…いやそれ以上に先行する可能性はかなり高いんじゃないか?と思って当日を迎えました。実際そうなりましたがスタートの遅い欧州の競馬でしかも内枠だったことを考えると仕方なかったのかなぁと個人的には思います。伏線として武豊騎手が囲まれることに対してだいぶナーバスになっていたことも挙げられるでしょうね。

投稿: ステイビー | 2006.12.30 19:10

サンデーサイレンス産駒ってのはなぜか本物のチャンピオンが出てきてなかったのですが、最後の最後になって最高傑作を残していったようですね。ディープが残した凱旋門賞の教訓は本当に勝てそうな馬で参戦する時はあまり強い強いと言いふらさないでコッソリ出走することでしょうか。いつまた一服盛られるかわかったもんじゃありませんのでw

投稿: ジュサブロー | 2006.12.31 02:15

ギャロップの年末総集編で岡部さんたちが改めて「ヨーロッパの馬はテンが遅い」「日本の馬はスタートがいい」って話してたんで、ディープの先行はしょうがないんじゃないですか?
そもそも位置取りってのは相対的なもんだと思うし
せっかく好スタートを切ったのに追い込みたいから無理矢理抑えるってのも何か本末転倒な感じが…

投稿: 一応 | 2006.12.31 11:54

>ステイビーさま 日本馬のゲートが速さ故、先に行かざる得ないのかという予想は色々とされていましたが、結果はその通りでしたね。位置取りより包囲網の中に入れられてしまうことを武豊も恐れていたように思えます。 >ジュサブローさま 確かにそうですね。ステゴやフジヤマケンザン並にドリパスあたりで勝っちゃったってな展開が理想かも。
 >一応さま そういうのを全て込みで結果論でグダグダやるのがディープ論の趣かもですね。

投稿: ガトー@馬耳東風 | 2006.12.31 23:40

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