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2006年11月の12件の記事

2006.11.24

ばんえい競馬 きょうにも存廃の判断下る

ばんえい競馬の運命を決する時が訪れようとしている。これまで北海道の4市が主催者となってきたばんえい競馬だが、昨年度の累積赤字は31億円に達し、存廃論議が重ねられてきた。その結果、来年から旭川市、北見市が撤退し、岩見沢市帯広市の2市が開催を引き受ける方向で調整されてきたが、今週、岩見沢市長の諮問機関が撤退の答申を行うことを決めた。これを受けて岩見沢市長は24日にも判断を表明する意向で、もし岩見沢市が撤退を決めれば、ばんえい競馬は60年の歴史に幕を下ろすことになる。

世界に北海道だけにしかないばんえい競馬。巨大な馬がソリを引く迫力は圧巻だ。もともと、ばんえい競馬は農村の祭りの行事として行われてきた。つい30年ほど前まで、輓馬(ばんば)は北海道の農業、林業を担う中心的存在だった。農家には必ず馬小屋があり、そこには北の大地を切り拓いた輓馬がいた。輓馬とは北海道のフロンティアスピリッツを表わす象徴的存在に他ならない。 1946年にはレースは組織化され、競馬場で年間1600レース行われる、ばんえい競馬へと発展した。去年、鳴海章さんの「輓馬」を原作とした映画「雪に願うこと」も公開された。

私自身、北海道に5年間、居住したこともあり、競馬場の他、地域の祭りや生産牧場で輓馬に触れる機会は幾度もあった。真冬の明け方に見に行った雪中訓練は、数珠繋ぎになって白い息を吐きながら行進する輓馬の姿が、幻想的なほど美しかったのを覚えている。北海道の厳しい経済事情を鑑みれば、赤字の事業を継続していけないのは理解できる。しかし、ひとたび廃止を決めてしまえば、失われたものは戻ってこない。来年度から黒字転換できるとした帯広市の収支計画を見直して、存続の選択肢は本当にないのか検討していただきたい。

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2006.11.22

浦和記念展望 東京ダービー馬の意地を見せろ! 

中央競馬のダートの祭典がジャパンカップダートなら、地方競馬の祭典はJBC。そして、その両者の谷間に組まれているのが、22日(水)に行われるG2「彩の国 浦和記念」ということになる。年末には東京大賞典が控えていることもあって、空き巣に近いメンバー構成になりやすい。今年の中央勢は3頭。前走、武蔵野Sで殿負けを喫したクーリンガー、牝馬重賞の常連、レマーズガール・グラッブユアハートの仲良しコンビ。失礼だが、フレッシュさとは程遠い顔ぶれだ。

だからこそ、期待をかけたいのが東京ダービー馬、ビービートルネード。前走のJBCクラシックは中央の強豪相手に7着に敗れたが、走るたびに力をつけているのは事実。戸塚記念を8馬身差で圧勝した実力は侮れず、地方のホープとして来年の交流重賞を担うならば、ここで中央勢を返り討ちにしたいところ。若き町田から石崎隆に手替わりして、どんなレースを見せるのか注目だ。また、距離延長が嫌われているが、JBCマイルで4着に好走した内田博のコアレスタイムも怖い一頭だ。

◎ビービートルネード ○コアレスタイム 
△レマーズガール、グラッブユアハート、クーリンガー

>>浦和記念特集(netkeiba)
>>レース展望(D-net)

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2006.11.21

パートⅠ国昇格 ”何も変わらない”一等国入り

20日、JRAは2007年より日本が ICSC(国際セリ名簿基準委員会)が定めるパートⅠ国に承認されたと発表した。これまで日本は賞金や主要レースのレベルなどは充分にパートⅠ国の水準に達していたものの、外国調教馬の出走できるレースが少なく ”鎖国競馬”を続けているとしてパートⅡ国に分類されてきた。しかし、平成17年から国際交流競走を増やす施策を採り、来年度はICSブックに記載された競走の過半数が開放されたことから、パートⅠ国への昇格することになった。 アジアでは3年前に承認されたUAEに続いて2ヵ国目となる。

以前、「パートⅠなど飾りですよ。偉い人にはそれが分からんのです」と本質をズバリついた人がいたが、偉い人、つまりJRAにとっては十数年来の悲願でもあった。 92年、『外国産馬出走制限緩和(5ヵ年計画)』を策定し、安田記念など幾つかのGⅠ、GⅡを外国調教馬に開放。また、混合競走の編成率を55%に引きあげ、最後まで抵抗の強かったクラシック、天皇賞も外国産馬が出走できるようにした。内国産保護を求める馬産地をたしなめつつ、こうした段階的な地ならしを経て欧米列強と肩を並べる ”競馬一等国”と認めさせたのだ。

では、国際会議でJRAの発言権が増す以外に、パートⅠ国入りして、日本競馬は何が変わるのだろうか。来年度は60のレースが国際格付けを得られる。そのため、JRAによれば「日本産馬の国際的評価向上、日本の競馬の一層のレベルアップ、ブランドイメージの向上、日本産馬の輸出促進などの好影響」がもたらされるという。しかし、実際は外国馬が大挙して押し寄せることもなければ、天皇賞馬や有馬記念馬が海外種牡馬として買い漁られることもない。韓国や中国への輸出が馬産地の経済の大きなウェイトを占めるまでには長い時間が必要だろう。すぐに何か変わるわけではないのだ。

だが、これまでJRAが進めてきた外国産馬、外国馬へのレース開放が競争を促し、国内のレベルアップにつながっていたことは間違いない。そもそも競馬がロマンやプライドを提供する娯楽産業であるならば、世界に対して胸を張れるパートⅠ国の地位を得るのは大きな”飾り”だ。将来的な話としても、日本産馬輸出にプラスになってもマイナスになることはない。むしろ、「外国馬の出走制限緩和は馬産地を滅ぼす」と主張していた人々の危惧とは裏腹に、実質「何も変えずにパートⅠ国入り」を成し遂げた石を穿つJRAの戦略を讃えるべきか。

2006年はドバイシーマクラシック、メルボルンC制覇、凱旋門賞、キングジョージでも日本産馬が台風の目となったエポックメイキングな年である。国際化の集大成であるパートⅠ国昇格が重なったのは、実に相応しいと言える。だが、残念ながら今年のジャパンカップは史上最低の2頭しか外国馬が参戦しない。その背景にはJRAがダーレー・ジャパンの馬主申請を却下し、マクトゥーム一族の機嫌を損ねたためとも囁かれている。来年、ダーレーの申請を認可することが、国際化計画の点睛になるとすれば、その時は「何も変わらない」わけにはいかないだろう。

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2006.11.19

”府中の鬼”を継ぐ者 フサイチホウオー参上

札幌二歳は縒(よ)れながら勝った。
共同通信杯は外から内まで斜めに走った。
皐月賞は蹴つまづいた。札幌記念は油断した。
雨と右回りは嫌だって、あれほど言ったじゃないか。

ダービーは怒濤の追い込みだった。
ついでに国際GⅠも勝った。
”第48代”年度代表馬だ。大丈夫だって言ったろ。

作家 乗峯栄一(ジャングルポケット写真集 永遠の雄叫び) より

ジャングルポケットは不器用な馬だった。お行儀の悪かった札幌2歳Sや共同通信杯、躓いて強引に追い上げるしかなかった皐月賞。三冠最後の菊花賞では口向きの悪さを見せて伸びを欠いたまま敗れた。それでも、日本ダービーやジャパンカップのパフォーマンスは圧倒的だった。広い府中でこそ激走するジャングルポケットは、多くの府中の鬼を輩出したトニービンの特徴を体現した究極の馬だったのかもしれない。

18日、東京スポーツ杯2歳Sを勝ったフサイチホウオーはジャングルポケットのファーストクロップ。不器用なところは父そっくり。東スポ杯でも道中は行きたがって安藤勝が抑えるのに一苦労。 4角では左にもたれて嫌がる素振り。内外に挟まれて一旦は先頭を譲り、万事休すかと思われた。だが、いざ手前を替えると、勝負根性を剥き出しにして差し返す。着差は半馬身だったが、見た目以上に強い競馬だった。実力差は相当ある。 現地観戦しながらそう感じた。

距離が伸びて良いのは間違いなく、好位につけるスピードもある。但し、小回りコースや多頭数といったレースでも、力を発揮できるかが課題になる。まだまだ荒削りだが、競馬を覚えていけば父と同じくダービーをめざせる器ではないか。トニービンが父系を繋いでいくのにもホウオーの登場は明るい材料だ。次走はラジオNIKKEI杯が予定されている。6年前、父がアグネスタキオンクロフネと対決した伝説のレース。父はかつてのライバルと種牡馬リーディングでも肩を並べることができそうだ。

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2006.11.17

寝ワラから薬物摂取 ”不注意”の大きすぎた代償

16日、凱旋門賞後に禁止薬物が検出されたディープインパクトの処分が、 フランスギャロとJRAから同時に発表された。ギャロ審査委員会は3着入線のディープインパクトを失格とし、池江泰郎調教師には1万5000ユーロ(225万円)の制裁金が科されることになった。賞金3400万円は支払われず、出走に関する処分は行われない。意図的な不正は否定されたものの、池江郎師に対して管理責任を充分に果たさなかったとして、調教師としての規律違反があったとされた。また、なぜ禁止薬物が検出されたのか、詳細な経緯も併せて明らかにされた。

  1. 9月13日、ディープが調教後に咳。日本人獣医師がフランス人獣医師に相談して、吸入治療を推奨される。
  2. 日本人獣医師の要望で21日から吸入治療を行うこととなり、日本人獣医師は仏人獣医師の処方により吸入治療に必要な「イプラトロピウム」を薬局で購入。
  3. 日本人獣医師は21日~25日、仏人獣医師から借りた吸入器を用い厩務員の手を借りて吸入治療を行った。
  4. 吸入治療中、ディープが暴れた際、装着したマスクから容器が外れ、霧状化したイプラトロピウムが馬房床に噴霧。こうしたことが2回あった。
  5. 馬房内に飛散したイプラトロピウムが寝藁や乾草に付着。それら敷料、乾草は入れ替えられなかった
  6. 26日、仏人獣医師の指示通り、吸入治療をやめて吸入器も返却。
  7. 競走前日(30日)から当日(1日)の間に寝藁などからディープが摂取。レース後に陽性反応。

池江郎師は治療に禁止薬物が使われたことを知らされず、馬が暴れたことも薬物検出後に報告を受けた。元来、ディープは咽が弱く、国内でも消炎剤や抗生物質を使用したことがあったと言う。今回、驚くべきことは、これだけ内外の注目を集めて、一挙手一投足が報じられていたディープに関して、スタッフからどのような治療を行っていたのか詳細な報告がなされていなかった点だ。万全を期すために池江郎師も厩務員も獣医師も現地に滞在して、毎日、顔をつきあわせていたのではなかったのか。

イプラトロピウムは「体内で24は時間でなくなる薬だが、敷料や干し草に付着した場合、日中さらしても1週間では変質しない」(西村啓二JRA馬事担当理事)という。獣医師は禁止薬物と認識しており、レースまで余裕をもって25日で治療をやめている。しかし、揮発性が低く、付着した薬物がすぐには消えてなくならないことは知らなかった。獣医師は「注意が足りなかった。責任がないと言う気はない」としている。いずれにしろ「フランスで禁止されている薬物を使った」ことを調教師に伝えなかった怠慢がトリガーになっているのではないか。

発表された事実が真実であるかどうか疑念を呈する声も散見されるが、これで薬物検出問題は決着を図られることになる。凱旋門賞3着という記録は抹消されるが、日本馬が1番人気となって世界最高峰のレースに挑戦したという事実は消え去ることはない。ディープの偉業を過小評価する必要はないが、不注意が発端になったことを思えば、払った代償は大きすぎたと言えるかもしれない。一方、日本競馬が今回の処分を冷静に受け止めようとしているのは、「凱旋門賞2着」の先例があればこそ。そう考えると、エルコンドルパサーに救われたという気がしてならない。

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2006.11.14

シルクディヴァイン 忘れ得ぬ極私的名馬

シルクディヴァイン。ほとんどのファンは記憶にない馬名かもしれないが、私にとっては忘れられない1頭だ。何しろ、これまで出資したクラブ馬のなかで、唯一勝利をあげたばかりでなく、準オープンまで勝ち、重賞にも出走してくれたのだ。ディヴァインはフォーティナイナーの初年度産駒。母は羽田盃、黒潮盃、京浜盃などを勝ち、南関東で無敵を誇った名牝カシワズプリンセス。一口7万円(全500口)はシルクホースクラブでは決して安い部類ではないが、ダートでの活躍を期待して出資することにした。

ところが、管理する尾形師が選んだデビュー戦は芝1200。陣営は芝のスプリンターと判断したようだ。デビュー戦は1番人気、4着。その後、3着、9着と来て、目先を変えようとダート1800に出走する。血は争えないとはこのことで、2秒の大差をつけて衝撃の初勝利を飾った。返す刀で500万も連勝。調教師が適性を全て把握しているわけではないと実感させられた。夏に900万特別、暮れには1600万特別で勝利。単勝(15.3倍)を握りしめて応援していたフェアウェルSのゴール前の興奮は忘れられない。

残念だったのは、4-5歳の充実期を丸々、休養で棒に振ってしまったこと。復帰後は入着が精一杯で往年の力を取り戻すことはできなかった。 7歳春、ディヴァインは中央登録を抹消され、岩手競馬へ転籍した。オープンで勝利をあげたり、交流GⅠの南部杯に出走するなど、元馬主として再び愛馬が活躍の場を得ることのできたのは、この上なく嬉しかった。 9歳になった今年、4月に勝利を収めたものの、競走馬としての能力は限界に達したのだろうか。 10月をもって地方競馬からも登録を抹消された。

中央・地方を合わせて、通算59戦11勝。何処に出しても恥ずかしくない戦歴だ。いつか岩手へ応援に行きたいと願っていたのが、叶えられなかったのが私の心残りだ。当歳を含めて、ディヴァインの後輩にあたる12頭の馬たちは未勝利。今年の3歳勢も5戦0勝と不出走のまま引退が決まった。収支だけを考えれば絶望的な赤字を抱えている一口馬主ライフだが、ついつい若駒に出資を申し込んでしまうのは、ディヴァインが教えてくれた勝利の快感が呼び覚まされるからだろうか。ディヴァイン、長い間、本当におつかれさま。

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2006.11.12

カワカミプリンセス降着 15年前の因果は巡る!?

15年前の秋、競馬界を震撼させた大事件が起きた。史上初のGⅠ1着入線馬の降着処分である。この年の天皇賞秋で 1番人気に支持された武豊メジロマックイーンは、プレクラスニーに6馬身もの差をつけて1位入線した。しかし、スタート直後に大きく内に切れ込み、他馬の進路を妨害したとして18着に降着処分となった。この時、勝ち馬から7秒遅れてゴールした被害馬がプレジデントシチー。鞍上は本田優だった。因果は巡るというのか。

今年のエリザベス女王杯はシェルズレイが引っ張る淀みのない流れとなった。 1000メートルは57秒4。後続集団の先頭はアサヒライジング。有力馬はフサイチパンドラカワカミプリンセススイープトウショウの順序で、それぞれがマークしあう形。ほぼ折り合いを欠くことなく、各馬とも坂の下りから仕掛けのタイミングを図る。この流れではスタミナの誤魔化しは効かず、中距離で実力を発揮できる馬でなければ上位には来れなかっただろう。

カワカミは4角前で遅れて加速しはじめたものの、外にパンドラ、スイープが並んでいては、その内を回すのは常識的な判断だった。直線を向いて、開けていたのはシェルズレイとアサヒの間。だが、シェルズレイが失速し、アサヒが若干、内へ寄せる素振りを見せる。カワカミと並んでいたヤマニンシュクルも同じ進路を取ろうとしており、ここで致命的な不利を受けるわけにはいかない本田としては強引でも割って入るしかなかった。「前の馬が内にモタれていたので早めに動いた」という当人のコメントが全てだろう。

ゴール後にシュクルが下馬したことも含めて、降着処分はやむを得なかったと言えよう。とりわけ、直線に入ってからの加害行為は着順との相関性が見えやすいだけに、重い処分の対象になる可能性が高い。直前に左鞭を連打したのも印象を悪くした。裁決の不透明性や降着基準の曖昧さは常日頃から批判されていることではあり、改善されなければならない問題ではあるが、今回の処分は妥当とせざるを得ない。個人的にはスイープ流しの馬連4180円が的中した。

脚のなかったシェルズレイが馬場の真ん中に出さなければ、もう少し4角でカワカミの加速が早ければ…、降着は免れたかもしれない。さらに遠因に思いを巡らせれば、GⅠ1着入線馬の降着の前例がなければ、裁決も躊躇したかもしれない。そう考えると、やはりプレジデントシチーに本田が騎乗していたことや、ひとつ前のレースで本田が被害馬となってペリエが降着になっていたのも、因果を感じずにはいられない。ただ、カワカミの強さが古馬相手でも底を見せなかったことは喜ぶべきことだった。無敗伝説は終わらない。

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2006.11.11

男・藤田の超攻撃的自伝 『特別模範男』

「俺の戸籍上の名前は、実は『藤田伸二』ではない。訳あってこの"芸名"を使っているけど、本名はちゃうんよね」 そんな驚きの事実を前書きでさらりと述べてしまう、男・藤田の自叙伝 「特別模範男」。今秋、出版されたこの本は、ゴーストライターが書いた紛い物でもなければ、競馬界に良くある奥歯に物の挟まった駄文を重ねたものでもない希有な一冊だ。金髪、ピアス、タトゥー。派手な外見とは裏腹に、 9年連続フェアプレー賞を獲得していることをご存じないファンもいるかもしれない。だが、意外性の男、藤田の生き方はシンプルすぎるほど明快だ。

見た目が気に入らないから乗せないという人はそうすればいい。そんな人間的に小っちゃいヤツの馬になんかこっちが乗とうないわ。ひねくれモンって言われようと構わない。俺は自分の気持ちに正直に生きてるし、全身を使ってプロとしての生き様を表現しているだけや。… 騎手というのは、一人ひとりが個人事業主。言うなれば社長。だから社外の人間からアレコレ言われるのは気に入らないし、逆に俺が"他人の会社"に干渉することもない。テメエのケツはテメエで拭く。これが徹底できていれば、誰からも文句を言われる筋合いはないと思う。

まるで粋がった中学生がそのまま大人になってしまったような男。村社会である競売界であれば、そうした生き方は決して得とは言えない。その点、藤田も「俺には敵が多い。馬主、調教師、騎手、マスコミ、競馬界の職員…。アンチなんていうかわいらしい表現では収まりきらないほど、俺のことを心底嫌っている人間は大勢いる」と述べている。伊藤雄二師や小島太師とトラブルになり、一時、騎乗させてもらえなくなったこともある。それでも、頑ななまでに"筋"を通すのが、無骨な魅力なのだろう。

そんな藤田だから、人間関係もはっきりしている。最初に所属した境直行師とも折り合いが悪かった。それでも馬に乗せてもらえるのは厩務員や助手との関係を大切にしているからだという。「テキは好かんかもしれへんけど、伸二に乗せたってくれんかな」と言わせれば、良い馬が回ってくる。藤田流の処世術だ。田原成貴についても、騎手時代に限っては「心の師匠」と言い切っている。トウカイテイオーの有馬記念での涙が演技だったこと、二人で関口房朗の自宅に出向いて土下座したことなど興味深いエピソードも尽きない。

4億5000万円の豪邸を新築した藤田は、毎月180万円のローンを返済しなければならない。「まだまだ頑張らねばならん」のだ。しかし、鼻っぱしの強さとは対照的に、パニック症候群と過呼吸という爆弾を抱えてもいる。新幹線を途中下車するために止めたのは有名だが、今年6月には開催中に騎乗を取りやめたこともあった。「限界を感じるまで、騎手という仕事を続けるだけ」という男・藤田。彼に共感するにしろ、拒否するにしろ、赤裸々な生い立ちも含めて、読んでみて決して損はしない一冊だ。

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2006.11.07

メルボルンC 歴史的な日本馬ワンツー

7日、フレミントン競馬場で行われたオーストラリア最大のレース、第146回メルボルンCは、岩田康誠騎乗のデルタブルース(栗東・角居)が優勝した。デルタブルースは好スタートを切ると、道中は2番手、3番手につけ、直線入り口では先頭に立った。ゴール前、外から同厩のポップロックが追い込んだものの、半頭差だけ抑えてゴールした。 3200メートルの勝ちタイムは3分21秒42。日本調教馬の海外GⅠ制覇は南半球では初めて。

デルタブルースは一昨年の菊花賞を制した生粋のステイヤー。だが、今春の天皇賞は10着に敗れるなど精彩を欠いていた。前哨戦のコーフィールドCは僅差3着に好走したものの、当日は7番人気。ポップロックが1番人気に推されていたのに対し、伏兵の域を出ていなかった。凱旋門賞のショックで、暗い雰囲気に覆われていた日本競馬にも元気を与えてくれる勝利になろう。

>>メルボルンCレース映像

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チベット競馬祭 民族の心を次の世代へ

チベットと聞いても、すぐに版図を思い浮かべることができる人は多くないだろう。現在、チベットという国は国際法上、存在していないからだ。だが、7世紀初頭にソンツェン・ガムポ王がチベットを統一して王国(吐蕃)を築いてから、ダライ・ラマ法王政権が中国政府の"平和解放"によって実権を失うまで、独自の文化と宗教で隆盛を誇ったチベットは北はモンゴル、南はネパールまで、強い影響力を与え続けてきた。今、そうしたチベット文化圏は中国ではチベット自治区、青海省、四川省など、インドではカシミール州などに分割、支配されている。

チベットは大部分を標高4000メートル以上の草原が占めている。夏は強烈な紫外線を含んだ日光が降り注ぐ一方、冬は氷点下20度を下回る凍てつく世界となる。厳しくも豊かな生命を育む大地で、人々はヤクを放牧し、大麦を栽培しながら、営みを続けてきた。高山植物が花を咲かせる6月から8月、あちらこちらの草原では祭りが開かれる。普段、広範囲に住む人々が年に一度、一堂に会して、数日間に渡って民族舞踊や音楽を披露する。祭りは昔から大切な出会いの場でもあった。その中で最も喝采を浴びるのが競馬だ。男たちは村の名誉を賭けて、馬に跨り勝負を決する。

私がチベット族の競馬祭を観たのは雲南省・香格里拉(シャングリラ)。標高3276メートル、チベット東部に位置する。シャングリラとは映画化された小説『失われた地平線』(ジェームス・ヒルトン)の舞台となったチベットの理想郷のこと。長らくデチェンと呼ばれた地域だったが、観光客を呼び込もうと自分たちの土地こそシャングリラだと宣言して、県名まで変更してしまった。旧暦の端午の節句、ここで競馬祭が開かれる。元々は吐蕃時代に騎兵隊の閲兵式として行われたものだという。政府は97年に競馬場を完成させ、観光の目玉にしようと考えた。

競馬祭の開幕を彩る少女たち 競馬場はたくさんの人で埋まった
カタを持って行進 内馬場からスタンドを見る

祭り当日、競馬場には遠く離れた地域に住むチベット族が、色とりどりの衣装を着飾って集まってきた。その数、数千人。芝生のスタンドは埋め尽くされた。共産党書記の開会宣言とともに、祭りが始まった。チベット女性たちの鮮やかな歌と舞踊が馬場で繰り広げられる。行進時に両手に掲げているのは『カタ』という薄いスカーフ状のシルクの布。祝いや別れの席で相手の幸せを祈って肩にかける神聖なものだ。近代化のなか、祭りの形は変わっていっても、民族の伝統を守ろうという人々の思いは強い。

そして、いよいよ競馬だ。馬はポニーのように小柄。大の男が乗ると可哀想にすら見えるが、タフさはサラブレッドを凌ぐようで力強く駆けていく。トラックを走って着順を争う普通の競馬のほか、流鏑馬など技を競うものなど数種類ある。最も誉れ高いとされるのが『カタ拾い』。直線走路の左右、地面に置かれたカタを騎手が大きく身を乗り出して拾っていく。自らバランスを崩しながら、片手で手綱を操って真っ直ぐに走らせるのは相当な技術が要される。息が合わなければ馬が寄れて、一枚も拾えない。優勝はタイムと拾えた枚数で決まる。

カタ拾いの優勝者は隣町から参加した青年だった。落馬の危険も顧みず、見事な手綱さばきで左右90度に身を傾けて多くのカタを拾い上げた。青年の勇気と技に人々から賞賛の拍手が巻き起こった。今、中国政府の西部大開発はチベットの姿を大きく変えようとしてる。各地へ中国人の移住が推進され、伝統的な街並みは中国風の近代的ビルになりつつある。だが、チベットの人々は、じっと民族の思いと信仰心を胸に秘めて、したたかに生き抜いていこうとしていた。きっと彼らは万難を排して、次の世代へと文化を受け継いでいくことだろう。

トラックを走る馬 カタを拾った瞬間
チベット茶を振る舞う 祭りにやってきた少女

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2006.11.05

更新再開 チベットより帰国しました

しばらく更新をお休みさせていただいておりました。本日、旅先のチベットのゲストハウスを出発して、 52時間かけて東京の自宅へと戻りました。フライトがキャンセルされるわ、乗り継ぎには間に合わないわ、翌日の便が満席とかで上海経由で大回りするなど、エアチャイナには振り回され続けでした。そのお陰で、用意されたホテルでチベット僧とルームシェアすることになるなど、得難い経験もありましたが。。。

チベットは数百年の昔から、旅人を惹き付けてやまない土地でした。私自身、雲南省やインドのチベット文化圏は訪れたことがあるものの、聖都ラサは初めて。実際、荘厳なポタラ宮は見るほどに心が震え、世界遺産のジョカン寺で五体投地を繰り返す巡礼者に圧倒されました。そして何より、苛酷な環境や文化の破壊に直面しても、厚い信仰心を持って困難を乗り越えていこうとする人々の姿には感動しました。また、なぜヒマラヤで少年僧が銃撃されねばならなかったのか、深く考えさせられた旅でした。

かつて、チベット自治区を旅行するには煩雑な手続きが必要でしたが、現在、15日以内の滞在であれば、中国査証は必要なし(少なくとも実際上は)。入境許可証も「成都→ラサ」の航空券を現地の代理店にメールなどで申し込めば取得してくれます。今回、私が手配を始めたのは、出発の4日前でした。折しも、最高指導者、ダライ・ラマ14世が来日中ですが、チベットという存在を気にかけてみる良いチャンスかもしれません。次回のエントリーでは、以前、私が観覧したチベットの競馬祭をご紹介しようかと考えております。ひとまず、帰国報告まで。

標高4000メートルの山々を越える 聖都ラサの象徴・ポタラ宮
問答修行中の僧侶 金色に煌めく仏像
チベット族の子どもたち 高原での生活に馬は欠かせない

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2006.11.01

Seven Days in Tibet

I have late summer vacation and traveling in Tibet. It is so much cold ! But grand landscape is majestic, which alititude is above 4000 meter.

I am happy to meet Tibetan culture and people. They are good faith, modest, industrious and endurance, in spite of their distress until now.

Sometimes I saw them getting ride on local horses. Even now, horses are leading part for cultvation or transportation. Next time, I would like to visit to see horserace fastival.

Please accept my unskillful English. In Sigatue-city, at center of Tibetan plateau, I have no method to input Japnese. I am lokking forward to reporting my little journey.

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