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2006.10.11

"死は生と共に終わらず" モンタヴァルの血の呪い 

寺山修司が遺した良く知られるエッセイに「モンタヴァル一家の血の呪いについて」という一章がある。「モンタヴァルの子で二度幸福が続いた馬はいない」というのだ。モンタヴァルは1953年フランスで生まれ。キングジョージを制し、 1961年に日本に種牡馬として輸入された。重賞ウイナーを出して2歳リーディングサイアーにも輝いたものの、1965年に早世している。

「生が終わって死が始まるのではなく、生が終われば死も終わる。死は生につつまれていて、生と同時にしか実存しない」というのが、私の死についての感想であるが、モンタヴァルの場合にかぎっていえば、死は生と共に終わらなかったのではないだろうか?モンタヴァルの死だけが生きのびて、それが産駒の血の中で騒ぎ出す。伝説がまさしくこの家系を支配しているのだとしたら、この不幸の連続は、まさに父親モンタヴァルの意のままだったということになるかもしれない。(寺山修司・馬敗れて草原あり

モンタヴァルの血の呪いとは如何なるものだったのか。産駒のナスノコトブキは「菊花賞を勝ってようやく本格化し、春の天皇賞をめざしてふたたび京都へ遠征したが、そこでまったく突然に死んでしまった」。皐月賞馬ニホンピロエースはダービーで「逃げるどころか先行の一団にさえ加わることさえできなく」惨敗した。「走るお墓」と囁かれた小柄なメジロボサツは土砂降りの嵐にクラシックのチャンスを奪われた。

不運が偶然であると晴らすため、寺山が期待をかけたのが朝日杯を勝ったモンタサンだった。しかし、皐月賞を前に思わぬアクシデントに見舞われる。「馬丁ストライキ」だ。長い稽古休みの間にモンタサンは飼い葉を食わなくなり、すっかり痩せ細ってしまったのだ。出走に漕ぎ着けたダービーは惨敗。秋はセントライト記念を勝ったものの、「飼料に混じった農薬を食べて」菊花賞をあきらめざるを得なくなる。「血統への復讐」は叶わなかった。

それから40年。先週、府中の3歳未勝利戦で、1番人気に推された牝馬が競走を中止した。右第一指関節脱臼、予後不良となった。馬の名前はメジロアレグレット。名牝メジロドーベルが初めてターフへ送り出した仔だ。好素質馬と評判だったが、デビュー戦で大きな不利を受けてから歯車が狂ってしまった。最後のレースでは砂を被って嫌がる仕草を見せていたという。アレグレットを偲んで、ふと血統表を開いて背筋が凍った。 4代前の母メジロボサツ、その父モンタヴァルの名前を見つけたからだ。

なみだを馬のたてがみに
こころは遠い草原に

酔うたびに口にする言葉は
いつも同じだった
少年の日から
私はいくたびこの言葉をつぶやいたことだろう

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コメント

小さな事実から想像力の翼が広がる名文ですね(笑)
感心しました。

投稿: BIRD | 2006.10.11 10:46

鳥肌が立ちました…
ヘンな感想かもしれませんが、これだから競馬から離れられません。
寺山の本、どこにしまったかなあ。

記事違いですが。
サイト開設10周年おめでとうございます!

投稿: エツ | 2006.10.12 22:43

>BIRDさま ありがとうございます。 >エツさま 寺山は何度でも読み返したくなりますね。

投稿: ガトー@馬耳東風 | 2006.10.15 03:20

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