« 残りものに福 サクラメガワンダーに内田博幸 | トップページ | ニュージーランドT 外車ドラゴンウェルズに期待 »

2006.04.03

メジロマックイーン逝く あまたの名ドラマを遺して

3日、社台SS荻伏(浦河町)で繋養中だった種牡馬メジロマックイーンが心不全のため死亡した。 19歳だった。91、92年に天皇賞春を連覇。内国産父子3代で天皇賞を制する空前絶後の記録をつくった。 91年、天皇賞秋では史上初めてGⅠ1着馬の降着処分も受けた。盾に生きた名馬である。私にとっては初めて出会った同時代のチャンピオンホースがマックだった。その強さは憎たらしいほど。この時期、マックとライバルたちが織りなすドラマの数々に魅入られ、私は競馬に熱中していった。だから、マックがいなければ、十数年も競馬を見続けることはなかったかもしれない。哀悼の意を込め、レースを振り返ってみたい。

スティーヴ・マックイーンから名をもらったメジロマックイーン。人も名優なら馬も名優だった。マックのレースにはいつもドラマチックなストーリーが用意されていた。 90年秋、マックが初めて表舞台に立ったのが兄、メジロデュレンが勝った菊花賞だった。夏の函館で条件戦を連闘するなど、その血統から陣営が切望した菊花賞への参戦。しかし、前哨戦の嵐山Sで主戦・内田浩一の騎乗ミスで脚を余した2着に敗れてしまう。それでも池江郎師、北野ミヤの温情で菊花賞の手綱を任された内田浩は1番人気メジロライアンを降して勝利を収める。「メジロはメジロでもマックイーンだ!」の名実況はこの時のものだ。

翌年春、鞍上は武豊へとスイッチした。阪神大賞典を快勝したマックは再びライアン、ホワイトストーンらを撃破し、天皇賞春を制した。ここには血のドラマがあった。メジロアサマ、メジロティターンに連なる史上初の父子3代による天皇賞制覇である。種牡馬入りしたアサマは初年度に種付けした28頭がすべて不受胎。 "種なしスイカ"と揶揄されたが、オーナーの北野豊吉は執念で種付けを続け、 5年目にして産まれたのがティターンだった。生涯の産駒は19頭。その中から天皇賞馬が出たのは奇跡に近い。「父子三代で天皇賞を獲れ」と遺言を残して豊吉が亡くなった6年後、偉業を果たした武豊はマックの背で高々と豊吉の遺影を掲げた。

続く宝塚記念は盟友ライアンの思わぬ先行策に後れを取って2着。ライアンにとって悲願のGⅠ制覇でとなったが、負けて強しの内容にマックの名声が落ちることはなかった。そして、あの秋がやってくる。京都大賞典をステップに臨んだ天皇賞秋。得意の不良馬場を6馬身差でぶっちぎる。マックはウイニングランをし、武豊はスタンドにゴーグルを投げ入れて喜びを表わした。だが、審議のランプはいつまでも消えない。スタート直後の射行により、マックは18着降着のアナウンスが響いた。北野ミヤはジャパンカップ回避を叫んで抗議をするほどの怒りだった。調子を崩したマックはジャパンカップをゴールデンフェザントに、有馬記念をダイユウサクという伏兵に足をすくわれた。

春、リフレッシュした名優の前に立ちはだかったのが皇帝の子息、トウカイテイオーだった。岡部幸雄に「地の果てまで駆ける」と言わしめたテイオーに対して、武豊は「天まで昇る」とマックを形容した。人気は譲ったものの、世紀の対決と騒がれた天皇賞春はマックの独走劇。史上初の天皇賞春連覇で、ステイヤーとしての真骨頂を後輩に見せつけたレースになった。覇権を強固なものにしたマックだったが、骨折のため長期休養を余儀なくさせられた。93年春、大阪杯をレコード勝ちして天皇賞春三連覇に挑むが、今度はミホノブルボンの三冠を阻んだライスシャワーの徹底マークに2着に屈する。ステイヤー同士が死力を尽くして闘った淀三千二百だった。誤解を恐れずに言えば、これが競馬史上最後の天皇賞春というべきエポックメイキングなレースだったのではないか。

この後、マックは宝塚記念を圧勝。秋には京都大賞典で 2分22秒7という驚愕のレコードを叩き出した。常々、武豊は「マックはマイルCSに出しても勝負できる」と言っていたが、スタミナのみならず希有なスピード能力も兼備する証明になっただろう。初めて獲得賞金10億円を超えたマックだったが、天皇賞秋を前に故障、これがラストランとなった。京都大賞典で2着に降したレガシーワールドは次走、ジャパンカップを勝つことになる。 GⅠ4勝、通算成績21戦12勝。着外は降着処分の一度だけ。無事是名馬の代名詞のようにも言われたが、実際は相次ぐ故障を克服しての現役生活だった。

マックが出走するパドックに「芦毛伝説・第三章」と書かれた横断幕が張られることがあった。タマモクロス、オグリキャップと続く第三章なのか、アサマ、ティターンとの第三章なのか、いずれにしても印象深い名文ではないか。引退後、社台SSに繋養され、恵まれた種牡馬スタートを切ったマックだったが、ステークスウイナーはエイダイクイン、タイムフェアレディの牝馬2頭。遺された産駒は多くないが、願わくば天皇賞を勝ってくれる馬が出ないものか。ラストクロップが4代制覇を達成するなど、ドラマにだってないストーリーではないか。名優マックイーンなら、そのぐらいのことをしてくれそうな気がする。安らかに眠れ。

>>時代を駆け抜けた名馬たち メジロマックイーン(JRA50周年記念サイト)
>>Wish on the Turf メジロマックイーン ドットコム
>>悪夢の降着劇! 芦毛3頭の熱き戦い (馬耳東風)

|

« 残りものに福 サクラメガワンダーに内田博幸 | トップページ | ニュージーランドT 外車ドラゴンウェルズに期待 »

コラム・書評」カテゴリの記事

コメント

メジロマックイーンに関していろいろ勉強になりました。
自分はエイダイクインあたりから競馬はじめたもので・・・・勝負根性あっていい馬だったような記憶がありますねぇ。

投稿: くすり売り | 2006.04.04 23:26

エイダイクインは母親のユキノサンライズもアイドルホースでしたね。今年のエイダイクインはフォーティナイナーとの仔がデビューするようで楽しみです。

投稿: ガトー@馬耳東風 | 2006.04.05 03:58

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/1902/9418707

この記事へのトラックバック一覧です: メジロマックイーン逝く あまたの名ドラマを遺して:

« 残りものに福 サクラメガワンダーに内田博幸 | トップページ | ニュージーランドT 外車ドラゴンウェルズに期待 »