100連敗 ハルウララからのメッセージ
高知競馬、始まって以来の全国的著名馬となったハルウララが、14日、めでたく?デビュー100連敗を達成した。ハルウララは単勝1.8倍の1番人気。先行して見せ場はつくったものの、中盤で力尽き10頭中9着でゴールインした。この日、高知競馬場には通常の3倍という4800人の観客が詰めかけ、東京から応援ツアーも組まれた。高知競馬もこのレースを「ハルウララ100戦記念」と銘打ち、スタンドでは「ハルウララ応援歌」を流す念の入れよう。各メディアも、ハルウララ狂想曲さながら、繰り返し取り上げた。そもそも、ハルウララのニュースは高知競馬の広報がメディアに売り込んでブレイクしたものだから、不振にあえぐ高知競馬としてはしてやったりではないか。
ハルウララの父はニッポーテイオー、母の父はラッキーソヴリン。一部には天皇賞馬の仔と良血のように報道されたが、競馬ファンなら父は種牡馬落第だったのは周知の事実。三石町の小さな牧場で生産された三流馬というのが妥当な評価だろう。気性の激しさを直してほしいとのことから、ハルウララという穏やかな名前がつけられた。当初は生産牧場の服色で走っていたが、地元の馬主へ所有権が移転している。いったんは陥った廃用の危機を救ったのは、管理している宗石調教師の熱意だったという。未勝利馬でも大切に扱い続ける調教師。そこに、斜陽の地方競馬、愛らしい名前、100連敗という響きが加わって、ハルウララブームは巻き起こったのだと言えよう。
地方競馬では2000年にドージマファイターという馬が一般メディアを賑わしたことがある。中央から足利へ都落ちしたドージマファイターは、サラブレッド29連勝の日本記録を達成して「リストラの星」と呼ばれた。住宅ローンを抱え会社にしがみつかざるを得ない厳しい不況。気にくわない上司や理不尽なサービス残業にも文句ひとつも言えない現実。オヤジたちは一発逆転をドージマファイターに夢見ていた。では、ハルウララはどうなのか。100連敗なんて、誰もあやかりたくない記録じゃないのか。
最近は「勝ち組」「負け組」という言葉が流行りだ。軽薄な先物取引や保険勧誘の広告に限って「あなたも負け組から勝ち組へ」などと謳っている。不況下、ちょっとばかり他人より稼いでいる人間のなかには「あなたは勝ち組ですか?」などとしたり顔で聞く者もいる。確かに年収三百万円で暮らせという本がベストセラーになる時代、一億総中流意識は消え去り、経済面だけで言えば勝ち組、負け組の差は広がり始めている。だが、年収二千万円稼ぐのが、本当に人生の勝ち組になる道なのだろうか。必死に収入維持に全力疾走しても、いつ足下を払われるか分からない。もんどり打って倒れたとき、残るものは何なのか。周りを見たらひとりぼっち、誰からも相手にされないかもしれないのだ。
そりゃ、凱旋門賞や日本ダービーを勝てるに越したことはない。でも、そんなことができるのはエリート一握りだ。勝てなくたって、豊かに生きることはできる。いちばん大切なものは、家族との団欒だったり、余暇に使う時間だったり、仕事以外の秀でた一芸かもしれない。競馬界ではハルウララは負け組だ。底辺の田舎の競馬場で1勝もできない。だけど、ハルウララは愛情をかけて世話してくれるスタッフに囲まれ、100回も走ることができた。たくさんのファンの声援を受けた。「人生に勝ちも負けもあるものか、例えあっても誰にも分からぬ」 うわべのだけの"勝ち"にどれほどの価値があるのか、ハルウララはそう投げかけているように思える。
ハルウララは引退後、那須の乗馬クラブで障害馬術用の馬として引き取られることになった。トレーニングするのは障害馬術の五輪代表だそうだ。もし、ハルウララが途中で故障していたら、他の馬と同じように処分される運命だったに違いない。無事是名馬、負けても100回走り続けた。負けることも決して無駄ではないのだ。
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