天皇賞観戦の翌朝、私は大阪にいた。このまま帰京するのも芸がない。そうだ、地方競馬へ行こう! 「競馬界を今一度、洗濯いたし申し候」ということで、思い切って四国へと向かうことにした。めざすは未踏の地、高知競馬場である。あいにくの土砂降りのなか、無料バスに間に合うよう駅前へと急ぐ。小さなバスターミナルは駅に向かって左側にあった。発着場所は「C」。ところが、乗り場が見当たらない。表示もない。焦っていると、遅れて競馬場行きのバスが現れた。これで一安心…とはいかなかった。バスはターミナルに入ってくると、誰一人の客も乗せないまま、あっという間に走り去ってしまったのだ。雨に打たれ、立ち尽くす阿呆がひとり。事務所で乗り場を確認すると「Cはその辺やか」との返事。ちょ~テキトーである。「おまんら許さんぜよ!」と、45分後。今度は正面にやってきたバスに鉄火面ばりのホップ、ステップ、ジャンピング~で乗車成功。駅前からの乗客は私ひとり。GW中の開催にしては少し心配になる光景だ。
だが、競馬場に近づくにつれて、それは杞憂であることがはっきりしてきた。駐車場はたくさんの車で埋まり、場内は多くのファンの姿があった。三紙ある競馬新聞から「福ちゃん」(500円)をチョイス。早速、検討へと移ろうとすると… 馬柱が読めないよ! こんなことはサンタアニタ以来だ。北米か! 福ちゃんは競馬ブックのような横組だが、ひとつの枠に出走したレースの情報が記載されているのではなく、前6走の着順、騎手、位置取りなどが細かな字で横一行ずつ書かれている。言わば四季報やnetkeibaの新聞版。さらに目を凝らすと、平均ハロン、過去20週の着順、季節ごとの勝利度といった詳細なデータまで散りばめられている。豊富な情報量の福ちゃんを使いこなしてこそ通か。ちなみに右端の「談話」は「これも変わりない」「これも徐々にマシに」「これも今イチ」など、ことごとく「これも」から書き出しが始まっていて、いったい誰の談話か分からない。それも「ほがなこんまいこと、いいがやないかね」というところか。
高知競馬場は一周、右回り1100メートル。もっとも多用される1300メートルは4コーナー付近にゲートがおかれ、スタンド前を二度走ることになる。1着賞金は9万円から13万円。窓口の多くは効率化のため、カーテンが閉められている。「赤字即廃止」の厳しい条件のもと運営されている、苦しい台所事情も伺えた。不良馬場ということもあって、ハナを切った馬がほとんど連対する展開。本命馬が先手を取れないと波乱必至なわけだが、人気馬が後手を踏んでもスタンドは淡々としたもの。怒号や悲鳴が飛び交うことはない。福山あたりなら死人が二人ぐらい出ているレースでもだ。パドックも同じ。手の届きそうな距離で騎手が回っていても、野次も飛ばないのだ。あるのは「本田くん、がんばってー」というオバチャンの黄色い声援だけ。本田は恥ずかしそうに俯き、ダクでパドックを出て行く。パドックで厩務員が手綱を放すのも高知名物だ。地方競馬の魅力はオヤジたちが真剣勝負する空気だが、高知の南国競馬はどうも一味違う。鉄火場とはほど遠い、ホノボノした雰囲気である。優しさ、大らかさに包まれているようなのだ。
もう一つ、余所者が驚かされるのが競馬場とは思えない、たくさんの”お子様”たち。ざっと数えたところ、大袈裟でなく4人に1人は子どもではないか? 決して「こどもの日特別」がメインレースだからではないらしい。コースやパドックのいちばん前に陣取り、我が物顔で走り回る姿は、公営競技場だか遊園地だか分からなくなりそうなほど。パドックでは「お姉ちゃん、何が良い?」「8番が良い!」などという微笑ましい母子の会話が繰り広げられていた。さらにゴール板前には馬券オヤジに説教する驚くべき小学生が…。「7番は確実やて言うたやろ。おっちゃん、アカンわー」、そう言って懐から取り出したのは的中馬券! 「そりゃ、わからんわー」と頭を抱えるオヤジ。土佐のガキども恐るべし。もちろん、本人が窓口で買えるわけもなく、あくまで父親の馬券を預かっていることが分かったが、中央なら緑服の人がすっ飛んできそうなやり取りだ。
高知競馬には数々のアイドルホースがいる。ハルウララを挙げるまでもなく、オースミレパード、エスケープハッチ、ヒカルサザンクロス、ナムラコクオーなどなど。 8レース、記者選抜にはヒカルサザンクロスの記録に迫る253戦目のダイナブロスが出走していた。新潟や上山を経て高知へやってきた12歳馬。森井美香がきっちり2着へ持ってきた。このレース、すべての馬が連闘だった。賞金額の低さからも明らかな通り、高知に集まるのは底辺に位置する馬たちだ。調教師や厩務員は他場で走れなくなった老齢馬や故障馬を立て直し、再びレースに出走させる。限界まで馬を鍛え抜いて頂点をめざす、中央や南関東とは異質の競馬だ。そこに最多連敗、最多出走、最高齢現役馬など、ただ強さを求める競馬にはない見方が生まれてくる。だから、土佐の人々は温かい眼差しと"おらが村の馬"という連帯意識を懸命に走る馬たちに向けるのかもしれない。
さて、ここに来たからには観ておきたいのが「ハルウララギャラリー」だ。出迎えてくれたのは馬房に入った等身大のハルウララ模型。さらには映画「ハルウララ」の写真や衣装、出演者の渡瀬恒彦や賀来千賀子の手形が展示されていた。結局、映画は全国公開されず、ウララも高知に戻ってくることはなかった。ウララ関係の記事が閲覧できるコーナーには「競馬最強の法則」が積まれ、付箋のついたページには「社台ファームに7000万円で馬主が売りつけようとした」懐かしい話が載っていた。どこか抗議の仕方も奥ゆかしい。帰り際、展示品限りというTシャツとストラップを買うと、せっかくだからとポストカードとキーホルダー2個をオマケにつけてくれた。これでは儲けはなかろう。この分け隔てない親切心が結果的に付け込まれることになったのかと思うと、残された模型が物悲しくも見えた。さながらギャラリーは兵どもの夢の跡か。
最終レースのスタンド、嬉しそうなおっちゃん達に出会った。「余裕でてきて、競馬できそうやでって」と開催の行く末に盛り上がる。いつ廃止になってもおかしくない高知競馬は、部外者には知る由もない様々な問題も抱えているのだろうし、これからも困難が待ち受けているはずだ。だが、一つだけ明らかなのは、競馬場は地元の人々に愛され、存続を願う多くの声があることだ。それはハルウララがいなくなり、メディアの目が向かなくなっても変わりない。「いちばんがおれば、ビリもおる。あたりまえやん」 競馬場を去るとき、来たときの雨が嘘のように青空が広がっていた。馬券の負けも忘れる大らかな気分で帰路に着いたのは、天気のせいだけでなかっただろう。
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