2009.11.20

ダビスタ的、ウイポ的? 競馬観を生成するものについて

先日行われた菊花賞。その前後に、この日本中で一体どれだけの数の「ダンスインザダーク」という文字列が踊り、またその名が呼ばれたでしょうか? 血を残し、その血を継いだ馬たちの血統表に名を残すことで、初めてその馬の名は、単なる記録を超えて一種の不死性を得ることになるのです/ファンが抱く「種牡馬になれない→残念だね」という心の動きの背景に、「競馬はブラッドスポーツだから」以外で一体どんなバリエーションがあるのか(傍観罪で終身刑/DNAと馬とゲームの規則)

冒頭、引用したのは傍観罪で終身刑さんのブログ。この記事の書き出しでは、「私が関心があるのは『種牡馬になれない→残念だね』と多くのファンが思う背景は何かということ」と拙ブログ「問われるダート競馬の選択 ブルーコンコルド乗馬入り」のコメント欄で私が記した文を契機としたことが示されている。それは多分に拙ブログへの批判的な視点を持たれていることからであったと理解しているが、違った角度から新たなエントリーを書き起こすことで、ある部分の回答になればと思っている。あらかじめ断っておくと、今回もシャープな結論に辿りつくものにはならず、読者の期待に応える自信はない。だが、紆余曲折、様々な方面から反応をもらいながら、自分の糧にさせてもらうことがウェブの面白さだと思っているので、工事中のビル建設現場を覗くつもりで読んでもらえればありがたい。

ブルーコンコルドの乗馬入りに疑問を持った人々を充足させる応答とはいかなるものか。馬主のコンサルタントならば「種牡馬としての価値が付くようなキャリアマネジメントの失敗」で合格点かもしれないが、ファンが求めたのはどんなレースを選択していれば種牡馬入りできたのか、などというビジネスの話ではあるまい。「G1を7勝しても種牡馬入りもできないのはおかしいのではないか」との憤りや嘆息。つまり、優秀な成績を収め、生産界へ戻り、誕生した産駒が競馬場を駆けるサイクルこそ競馬の本質であるとの価値観に反して、ブルーコンコルドが例外とされてしまった(かに見える)ことへのネガティヴな感慨である。それは「競馬の本質は(内国産中心の)ブラッドスポーツ」なのだからであり、今回のエントリーの出発点、「多くのファンが潜在的に内国産的ブラッドスポーツ派ではないか」との仮説を立てる基礎となる。もっとも、古今東西、永久不変の真理など存在しない。錦糸町あたりの馬券オヤジにとっては競馬の本質は賽の目と同じかもしれないし、馬産を持たない香港では金持ちのステータスシンボルが本質かもしれない。そして、ブラッドスポーツ派が主流となってきたのは、私も一部だと自任するが、意外と最近のことではないかという気がするのだ。

以前、私は牝馬がマイル戦で活躍した例としてシンコウラブリイやノースフライトをあげたとき、 ”オールドファン”の郷愁ではないかと指摘されてショックを受けたことがある。だが、私とてTTGやマルゼンスキーの話を聞かされれば、過去の物語と捉えたに違いない。なぜこんなことを持ち出したかと言うと、私たちが当たり前に存在すると思っている見方、価値観、常識というのは、過去のどこかの時点で様々なファクターが要因となって生成されたものだと考えるからだ。どの時代が遠い過去かは、その事象が生成した現場に立ち会っていたかどうか、主観に拠るところが大きい。話を戻そう。内国産的ブラッドスポーツ派のファンが主流を占めるようになったとすれば、それが生成されたのは何時からだろう。この点、「ものかきの繰り言2009」さんの自己分析は鋭い。競馬ゲーム(ウイニングポスト)を入り口に現実の競馬ファンになったことを振り返り、ゲームシステムが乗馬入りを残念と思わせる意識を植え付けたのではないかというのだ。

段々ゲームを進めていくと、自分の作った(買った)馬を種牡馬入りさせる、という副次的な目標が出てくる。あわよくば自分の牧場 で管理して種付けして子供にG1勝たせて、目指せリーディングサイアー! という話になってくる。勿論これはあくまでゲーム的な “ご褒美”の構造でありますが、このいわば「一つのハッピーエンドとしての種牡馬入り」という先入観が、現実の競馬を見るに際して一種の刷り込みとして自分の中にある事は間違いありません。(ものかきの繰り言2009/彼等のゴールはどこにあるのか)

私もウイニングポストを不眠不休でやり続け、2週間、大学を欠席した苦い経験がある。90年代半ばのことだ。大レースを勝てば勝つほど所有馬のパラメーターは上昇し、牧場で強い馬同士を掛け合わせれば、もっと強い馬が産まれてくる。あるいは、ウイニングポストでなくとも、 90年代にファン層を劇的に拡大させたダビスタシリーズも同様の効果があったのではないか。この頃のダビスタには自家製種牡馬のシステムはなかったが、G1を勝ちまくった牝馬を牧場に戻して、さらなる最強馬を生産するという仕組みは、ヴァーチャル空間であれば性別の差は殊更重要なものではない。ゲームでは養老牧場に入りきらなくなった馬は消去されるしかなく、繁殖にあがり、血統図にその名を残していくことこそ、生きながらえる唯一の"ハッピーエンド"であった。基本的なシステムが変わらないまま今も人気を集める競馬ゲームは、相当数のプレイヤーの無意識に「競馬とはかくあって当然」と働きかけてきたのかもしれない。

90年代、リアルな競馬の世界もファンへの新たな刷り込みを始めていた。 1992年、広告業界でも屈指のヒットとなったのは、JRAが打ち出したCMキャンペーン・「あなたと話したい競馬があります」。牧場主の高倉健のもとに新人の裕木奈江がやってきて、ドラマ仕立てで子馬の誕生から旅立ちまでを描き、競馬のロマン性を訴える。高倉健は育成施設に送り出す馬に向かって、「強くなってくるんだぞ」と声をかける。そこには大きなレースを勝って、また帰って来いという生産者の願いが滲む。ファンにしても、台詞は現実離れした夢には聞こえなかったろう。当時、地方から頂点に駆け上がったオグリキャップは18億円のシンジケートが組まれ、スーパークリーク、イナリワンらアイドルホースは馬産地で人気を集めていた。前年にはシンボリルドルフの仔、トウカイテイオーが二冠を制し、皐月賞はミスターシービー産駒とのワンツー。大レースを勝った馬こそ種牡馬として相応しいのであり、己を超える仔を再び競馬場へ送り出すことが競馬の本質である。誰がその真実を疑えようか。

しかし、競馬新聞を電車で広げるのが憚られた時代、競馬に嵌るとは一家離散と同義であった時代、JRAが馬産を含めた「競馬のロマン」を大量広告で喧伝しなかった時代、天皇賞馬より見知らぬ外国馬の方が生産者に重宝された時代、ファンはブルーコンコルドのような馬が種牡馬入りできなかったことに憤りを覚えただろうか。日本の競馬史においては、「内国産不遇の時代」が圧倒的な時間を占めている。引退したダービー馬が観光地で馬車を引いて過労死した時代すらあったのだ。 ”オールドファン”からすれば、今年のクラシックのように父内国産馬(この言葉も前時代的だ)が大勢となるとは思いもしなかっただろう。「種牡馬になれない→残念だね」という心の動きの背景に、「競馬はブラッドスポーツだから」という”答え”が的を射ていることは間違いないが、それは私たちが枠組みの生成を目の当たりにし、さらにはリアル、ヴァーチャル両面から刷り込みを受けているからとも言える。真理ではないが、今の時代で最も説得性ある解釈として。

こんなことを書くと、「私はJRAの広告に洗脳されているわけではない。自由に、主体的に物事を考えているのだ」と手厳しい批判を受けそうだ。もちろん、人間の独創性、自律性を信じていないわけではない。そうであったら、私自身、ウェブで表現する意欲が失せるはずだ。それでも、私が何かを思考するとき、まず先に日本語という価値体系に縛られることを認めざるを得ないし、 21世紀の、日本の、競馬ファン、という属性のなかで、限られた情報から取捨選択するばかりで、与えてもらえない情報に思索を向けることはできないこと、言い換えれば標準化、規格化されていることを認めざるを得ないのだ。自分が何ものに動かされているかを考えることは、その行為自体が規格化に吸収されてしまう、右手で右手を掴もうとするような不可能な行為であるのかもしれない。しかし、それを受容した上で、物事を規定しようという力に抗い、生成の現場に立ち戻ろうとあがくことが、規格化から逃れる突破口になるのかもとも思う。

たとえ論理と理知を纏った見識であっても、その根底には”競馬こうあるべし”という各自の主観・価値観が横たわっている以上は「 感傷的で情緒的」という場所からは決して離れてはいない。ブルコン問題に関連してダート路線の位置づけを冷静に検証していても、 そういう意味では「情緒的」なのだと思う。(まったり血統派の茶飲み話/感傷を抱くこと、矢を放つこと)

前回の記事、私はブルーコンコルドがダートG1馬であるという属性から、「残念」と思わせる背景の一つとしてダート路線の位置づけを考察した。それが「情緒的」であるとすれば、「”競馬こうあるべし”という各自の主観・価値観」に拘束されている証左であろう。しかし、それでも今、私はそれぞれ場面で、己の価値観に疑いの眼差しを向け、右手で右手を掴もうとするより他にないのだ。

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2009.11.17

エ女王杯回顧 直線を向いて気づく絶望的距離差

向こう正面で後続を大きく引き離したクイーンスプマンテテイエムプリキュア。この時点で波乱を覚悟していたからか、直線は半分は逃げきっちまえという野次馬的根性、半分は当たると思っていたメイショウベルーガ絡みの馬券が屑になったなという遣る瀬無さに覆われて、鬼脚で空しく追い込むブエナビスタを眺めていた。古今東西、荒れるレースの立役者は逃げ馬と決まっていても、レース前には忘れている。忘れているから荒れるのだ。競輪と競馬の違いは「追走義務違反」の有無である。前者は選手が責任を負い、後者は観客が愚者となる。私はおぼろげな記憶を手繰り寄せ、G1でこんな展開はいつ以来かと思い浮かべてみた。同じ淀の外回りなら、天皇賞春で7馬身差をつけたイングランディーレ。だけど、あの時は単騎だったし、スタミナの権化のような勝ち馬の脚は最後まで上がっていなかった。メジロパーマーの有馬記念? ダイタクヘリオスが口を割りながら競っていった。その年の天皇賞秋で殺人的なペースを刻んで、レッツゴーターキンの追い込みを呼んだ狂気の2頭。トウカイテイオーは後ろにいたし、誰も追いかけようとしなかった。ハナ差に迫ったレーガシーワールドとパーマーの上がり3ハロンの差は2秒5。2頭で行ったが故にペースを錯覚させた。

それでも、今年のエリザベス女王杯、クイーンスプマンテの上がりは36秒8。ブエナビスタは32秒9だから、およそ4秒の差がある。やはり尋常ではない。スローペースになったのは、もちろん複合的な要因があろう。単騎逃げでなかったこと、京都大賞典で逃げバテたペアだったこと、圧倒的人気のブエナビスタもペースの指標たる武豊の馬も後方待機タイプだったこと。それに3番手で馬群にフタをしてしまったスミヨンもキーパーソン。生来の欧州のペース感覚が名手を狂わせたか、ラビットはバテるものだと無意識の判断があったか。よもや、契約を打ち切られたアガ・カーン殿下のシャラナヤを封じるための奇策だったわけでもあるまい。ともあれ、福永が嫌といった「死に役」を、遅まきながら横山典・カワカミプリンセスが買って出て進出を開始。連れて安藤勝・ブエナビスタも一気にまくったものの、直線を向いて初めて絶望的な距離差に気づいたというのだから、まったく競馬は恐ろしい。着外に沈む普段と同じラップでゴールした格下馬を、凱旋門をめざした女傑は捕まえられなかった。騎手は俯瞰してレースをしているわけではないという当たり前の事実を認識するとともに、勝ち馬と2着馬の主戦だった荻野琢真はどんな思いで福島のモニターを見入っていたのかと、脳裏を過ぎるだけだった。

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2009.11.14

猫ぱんち予想 エリザベス女王杯2009

この幸せは譲れない!

にゃにゃにゃにゃー(挨拶)。2週間ぶり、猫ぱんち番長にゃー。すっかり晩秋になって、朝晩は冷える。昔は猫はコタツで丸くなったそうだが、最近はホットカーペットで大の字になって温もりを全身で味わうのが猫の王道にゃー。エリザベス女王杯、前走は降着になってしもうたが、外枠を引いたブエナビスタの巻き返しに期待する。追い切りの状態は良さそうだし、外回りに変わるのも歓迎。レッドディザイアのいない牝馬限定戦なら、負けられない。未知の可能性はアガ・カーン殿下が送り込むシャラナヤにあるけれど、いきなり京都の馬場で走れるのか、誰も分からないなり。怖いのは準オープンで強い連中と接戦してきたメイショウベルーガ、スミヨンのリトルアマポーラ、一叩きされたニシノブルームーン。ブエナ1着固定の3連単にゃ。

◎ブエナビスタ ○メイショウベルーガ ▲リトルアマポーラ
△ニシノブルームーン、シャラナヤ、ブロードストリート、カワカミプリンセス

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2009.11.08

問われるダート競馬の選択 ブルーコンコルド乗馬入り

ダートG1を7勝もした馬がこの扱い… 日本の生産界はどうかしていると思いますよ。血統が評価されなくともこの実績を素直に評価されていいはずなんですが、もしこの「G1の勲章が7つ」という実績が「地方G1だから」という理由であったらそれはそれで悲しい。(座布団が行司にクリーンヒット)

ブルーコンコルド、引退。乗馬に。このニュース、なんだか久しぶりに、競馬に対してもやもや考えてしまう話だった。レース検討、馬券でなく、競馬について、だ。(○内○外日記プラス)

南部杯を3連覇するなどG1を7勝し、 2006年度のダートグレード競走最優秀馬にも選ばれたブルーコンコルドが引退を表明。しかし、その行く末が種牡馬ではなく、乗馬だったことにファンからは戸惑いの声があがっている。ブルーコンコルドは父フサイチコンコルド、母の父はブライアンズタイム。「ブルーマネジメント」(旧荻伏レーシング・クラブ)から総額2520万円、1口5万円余で募集されたクラブホースだ。デビューすると京王杯2歳Sで優勝し、皐月賞にも駒を進めたが成績は頭打ちに。3歳秋にダート路線に適性を見出し、5歳時には名古屋で行われたJBCスプリントでG1初制覇。先週のJBCクラシックで8着に敗れるまでに、およそ10億円の賞金を中央、地方で荒稼ぎした。ざっと考えても、一口当たりの利益は150万円超。G1競走7勝はダートに限ってもアドマイヤドンやカネヒキリと並ぶもので、超一流ホースの証だ。

ブルーコンコルドは南部杯で3勝目をあげた去年秋、8歳という年齢もあったのだろう、引退することになっていた。しかし、「関係各所に打診しているものの種牡馬入りのオファーがない」(Nonkee 呑 Stable)ため、やむを得ず現役を続行することになった。それから1年、状況は変わらなかった。個人馬主なら賞金をはたいて種牡馬入りさせるのかもしれないが、すでに利益を分配済みのクラブ法人はそうはいかない。それでもスターキングマン、ノボジャック、スターリングローズあたりが種牡馬入りしていることを鑑みると、実績で上回るブルーコンコルドに声がかからないというのは少し酷にも感じる。だが、母系に特徴なく、父は中級サイヤーとしてポジションが固まってしまっており、純粋に ”G1・7勝しか売りがない”同馬は繁殖を集めるのが難しいという判断だろう。想像してみよう、自分が生産者だとしたら同馬をチョイスするだろうか、せりで買い手はつくだろうか、クラブで産駒が募集されていたら出資するだろうか。1頭当たりの種付け頭数が増え、相対的にマイナー種牡馬の価値が低下している現在、感傷的に嘆いてみても仕方がない。

今回のブルーコンコルドの乗馬入りは、どれだけダートG1で勝利を積んでも種牡馬としての価値の決め手にはならない、ダート路線の厳しい実状を鮮明にしている。もともと芝コースの養生保護という観点にダートは位置づけられた経緯があり、スピードが足りずに芝で限界を露呈した馬、脚元が弱く硬い芝の衝撃に耐えられない馬などが集まる、救済レース的な色彩も濃かった。あくまでダートは芝を補完する存在。それは1997年にフェブラリーSがG1の格付けを与えられ、ダート体系が整備された今でも濃淡の差はあれ、本質的な違いはないだろう。天皇賞で勝負になる馬をJBCに出走させる陣営はないように、日本の競走体系が「芝>>>ダート」である以上、芝を主戦場にするグループにレベルの高い馬が集まるのも必然である。むしろ、フェブラリーSを格上げする際、G1の価値が損なわれると危惧する意見もあったことを振り返ると、私などはこの短期間に良くダートの地位は向上したものだと感じる。かたや、最初からダートG1が林立するなかで競馬を見始めたファンは、同じG1なのに差別ではないのかと矛盾を感じ、あるいは「俺はブルーコンコルドをG1馬だと思っていない」(おはようからおやすみまで競馬を広げる)”ダートニヒリズム”に陥ってしまうのかもしれない。

クラシックや天皇賞と肩を並べるG1の格付けと、実際のレースレベルや扱われ方の乖離。ダートニヒリズムから脱する方策はあるのだろうか。まずはその現実を受け入れつつ、救済レースから一気に路線整備されてレベルアップしてきたのが現在であることを認識しなければなるまい。議論を明確にするため、二つの考え方を提示してみたい。ひとつは現状を積極的に肯定する考え方。「G1は種牡馬を選定するための競走」という見方を棄て、ダート馬の闘いを楽しみ、地方交流で馬券の売り上げも盛況になるのだから良しと割り切る選択。いわば障害の「J・G1」と同じく芝のG1とは異質の「D・G1」として生きていこうというものだ。理念から言えば、それこそ芝に対するルサンチマンに目を瞑るだけではないかとの批難は寄せられるだろうが。これに対峙するのが「芝G1=ダートG1」をめざす上昇志向型。交流重賞を含めて芝G1並の賞金水準を理想とし、飽くなきダートの地位向上を求めていく考え方だ。極端な話、日本ダービーの裏で、同賞金のG1・ユニコーンSが行われるのなら、生産界のダート馬に対する扱いはドラスティックに変わろう。現実的な可能性はともかく、芝に劣らぬダート路線確立という運動は究極にはそこに向かう。

ブルーコンコルドの乗馬入りが投げかけたのは、漸次、底上げされてきたダート路線が何を着地点として進化していくべきなのかという課題だ。繰り返すが、短期間で競走体系が整備され、多くのファンの注目を集めるようになったダート路線の改革は成功したと言っていい。だが、その拡大路線を今後も続けるのか、ダートは補完的なものとして中庸に収めるのか、問われているのは長期的な戦略のように思える。その選択は政策的なものであり、どちらが正しいとも言えない。ひとつ忘れてはならないのは、日本のダートはアメリカや中東などのダートとは全く異質の舞台であるということ。砂が深く時計がかかる日本のダートは、雨の多い風土に適応した優れたものだが、そのためガラパゴス現象的にダート競馬が育ってきた背景がある。拡大路線を支持するならば、そうした日本特有のダート競馬を是とするのか、オールウェザー導入含めた馬場改修をセットで考えるのか、踏まえることも欠かせない。最後に本題とは関係ない蛇足だが、ブルーコンコルドの件はクラブ馬が種牡馬入りする場合の死角を明らかにし、余生問題で俎上に上ったドリームパスポートに重ねることができ、別の側面からも興味深かった。

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2009.11.06

馬券に生かせる? 武豊が明かした乗り替わり情報

ボクはカレンナホホエミを依頼されていて、追い切りにも騎乗していたのですが、同じ橋口厩舎のグレナディーンに圧倒されてしまいました。すると、橋口先生が急に「ファンタジーSに2頭使うことに決めたから、君はグレナディーンに乗ってくれないか」という指示。非常に珍しいケースですが、そういうわけで騎乗馬が変更になりました。(武豊オフィシャルサイト)

今週、武豊が自らの日記で披露した、ちょっと変わったエピソード。日曜・京都のメイン、ファンタジーSで新馬、フェニックス賞を連勝したカレンナホホエミに騎乗するはずだった武豊が、条件戦に出走予定だったグレナディーンへ騎乗変更を依頼されたというのだ。乗り替わりの事情は表立って新聞に書かれることはほとんどないが、同厩とはいえファンへ公に伝えられるのは面白い。グレナディーンは前走、1番人気が予想されるラナンキュラスに負けているものの、後ろから他馬に乗りかけられる不利があっての敗戦。巻き返しは大いにあろう。一方、カレンナホホエミも母テンシノキセキ譲りの快速馬で、オープンを勝っている実績がある。同馬には小牧太が乗ることになったが、上述のような舞台裏を聞くと頭からは買いにくい。しかし、下降した人気はレースではプラスに働く。馬券作戦にはこの情報をどう反映させるのか、とても悩ましい。もしカレンナホホエミが勝つようなことがあれば橋口師も立つ瀬があるまいが、果たして?

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2009.11.04

G1・8勝 ヴァーミリアンが”ルドルフ超え”の呪縛解く

3日、名古屋競馬場で行われた第9回JBCクラシックは、圧倒的な支持を集めたヴァーミリアンが優勝。史上最多となるG1競走8勝を達成した。ヴァーミリアンは父エルコンドルパサーの7歳馬。2歳秋にデビューするとラジオたんぱ杯を制してクラシック候補に名乗りをあげたが、スプリングSから皐月賞、京都新聞杯、神戸新聞杯と二桁大敗。その後、新たな活路を求めて挑んだダートのエニフSで勝利を収め、それからダートを主戦場に戦い続けてきた。 2007年、5歳になったヴァーミリアンは川崎記念でG1初制覇を飾ると、ドバイ遠征をはさんで、JBCクラシック、JCダート、東京大賞典、フェブラリーSと4連勝。その後もJBCクラシック、帝王賞を勝ち、最多新記録に王手をかけていた。今回のJBCクラシック三連覇はアドマイドンと並ぶ記録でもある。

これまでG1競走8勝の壁は非常に厚く、何か見えない力が働いているのではと思えるときもあった。まるで7冠馬、シンボリルドルフの偉業を守るかのように。かつて、宝塚記念ではテイエムオペラオーが執拗なマークを受けて新記録樹立を逃し、リズムを崩した秋の府中ではライバルの強襲にあって2度の2着に甘んじた。アドマイヤドンはJCダートでハナだけ差し返され、ブルーコンコルドは単勝1倍台のJBCスプリントでまさかの4着。さらにカネヒキリは今春のかしわ記念でレース中に骨折、2着に敗れる事態も起きていた。しかし、ようやくヴァーミリアンがその呪縛を解いてくれたわけで、どこか安堵する気持ちも沸いてくる。競走能力に関わるような大きなケガなく、勝利を積み上げてきたヴァーミリアンには月並みだが「無事是名馬」という称号が相応しい。

新聞では「ルドルフ超え」「ディープ超え」と確信犯的にセンセーショナルな文字が踊っている。無論、芝G1と交流G1と層の厚さの違い、時代で異なるレース体系やG1数などのファクトを同じ俎上で比較できるはずもなく、少なくないファンが「ルドルフやディープの記録を上回る」との表現に違和感を覚えるのは自然なこと。一方で、イチローが張本勲の安打数を超え、日本記録でもない”プロ野球記録”として賞賛されたように、こうして「G1・8勝」が新記録として称えられるのは、野球と同じく競馬も記録のスポーツである証左であり、歓迎すべきことである。ディープとヴァーミリアンとどちらの記録が優っているかなど実にナンセンス。ダート王者としての戦歴のなかで大きな勲章をつかみ、未踏の地へ踏み出したことが素晴らしい。高齢馬の活躍がキーワードになりつつある今シーズン、ヴァーミリアンはさらに記録を更新できるだろうか。

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2009.11.03

天皇賞秋回顧 ”馬齢を重ねる”アドバンテージが結実

「8歳馬、旧年齢なら9歳ではないか」という先入観。あるいは「4着固定の馬券ならG1でも買いたい」といった口さがない意見に同調するところが私自身あったかもしれない。しかし、横山典カンパニーをスッと内々の中団につけると、直線でも32秒9の脚を引き出して完勝させてしまった。レースの前半は59秒8と、想定以上のスローペース。後半は必然的に上がり勝負となるだけに、取りたいポジションに自在につけられる競馬の巧さが明暗を分けたのは当然だろう。騎手と気持ちを通じ合わせる術を身につけていった34戦の経験こそが、展開や枠順も味方に引き込み、盾で結実したと言ってよい。つい最近まで、追い込み一辺倒で多頭数を捌ききれない不器用なイメージを持っていたファンも多かったのではないか。ひとつのターニングポイントになったのは去年の中山記念。乗り替わった横山典があっと言わせる番手の競馬で勝利に導いたレースだ。この時、「目の前の勝ちを取りに行くだけの乗り方」と批難する向きもあった。しかし、振り返れば、イマイチくんから脱皮する新たな一歩だった気がしてならない。調教技術の進歩で息長い活躍もできるようになった現在、”馬齢を重ねる”のは無為な日々では決してなく、事を成すための大きなアドバンテージだ。

連覇が期待されたウオッカ。毎日王冠で逃げて差された武豊にとって、馬群で折り合いをつけ、好位から中団で競馬をすることが至上命題だったはず。スタートして控えることには成功したものの、他馬に寄られたこともあって、必要以上に位置取りは後方になってしまった。ある程度、速い馬が揃っていたにも関わらず、スローペースで淡々と進んだことも誤算だっただろう。直線では前がつまるも、そこから立て直して加速。安田記念の再現かと頭を過ぎったが、存分に脚を伸ばしていたカンパニーに並ぶことはできなかった。先に抜けていたスクリーンヒーローもクビ差、捕らえられなかったのは闘争心の減退を感じさせるところではあるが、ウオッカとて上がりは32秒9。不利な条件が重なっていく中、恥ずかしくないレースはしている。武豊は「完敗」と肩を落とし、角居師は「負け続けさせるのはかわいそう」と引退を示唆。ファンとしてはジャパンカップでもう1戦だけ、希代の名牝の走りを見せてもらいたいと願うが、馬よりも陣営にファイティングポーズをとる覇気が戻るか。

7番人気で連対、プチ波乱を呼んだスクリーンヒーロー。もう少し距離が必要かと思っていたが、この馬こそ府中替わりを待っていたクチ。父グラスワンダーもそうだったが、注目の下がったところで復活するのは血のなせる技か。ウオッカとは3馬身離れた4着にオウケンブルースリ。前が開かず、脚を余した印象。距離伸びるジャパンカップは条件は好転するが、人気も集めるだろう。2番人気の上がり馬、シンゲンが5着。ホワイトマズル産駒で、上がりの競馬は向かなかった。信玄は天下を獲れないものなのか。ドリームジャーニーは追い込みの競馬で6着。懸念されていた左回りで、スムーズに上がってくことができず、ペースもあわなかった。ところで、カンパニーの父、ミラクルアドマイヤ。トニービン直仔で、兄弟にフサイチコンコルド、アンライバルドがいる良血馬だが、種牡馬を引退後、ノーザンホースパークに移動。今は消息知れずという。カンパニーの活躍で一時は年171頭の牝馬も集めたが、他の産駒は鳴かず飛ばずだった。何処かで余生を過ごしているといいが、あまり詮索するのも無粋というものか。

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2009.11.01

猫ぱんち予想 天皇賞秋2009

眠いときは寝る!

先週はかつお節代半年分もすってしまい、この1週間、ずっと冷蔵庫の上でフテ寝してたにゃー。だけど、我が輩のデザート係のガトーがマタタビを持ってきたので大興奮。一気にハッピーな気分に戻ったにゃ。おっと、合法的に気持ち良くなれるのは猫の特権にゃから、お前ら人間は真似しちゃだめにゃ。クスリに手を出すと、ビゲッ!の元騎手みたいにお縄になるでー。天皇賞秋、うたた寝しながら考えたけど、ウオッカが馬群に沈むシーンは思い浮かばない。前走は目標にされて差されたとはいえ、去年からパフォーマンスも変わらないし、速い馬がそこそこいるから折り合いもつきそう。相手は完全本格化したドリームジャーニー。単勝12倍もつく4番人気とは見くびられたもんにゃ。左回りが嫌われているようだけど、去年とは馬が違う。この2頭を軸にして、3連単ビッグゲッツ!

◎ウオッカ ○ドリームジャーニー
△シンゲン、カンパニー、サクラメガワンダー、オウケンブルースリ

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